SNS疲れに物申す。

こんにちは。このブログにたどり着いて頂きありがとうございます。

 

SNS疲れ」と言う言葉を目にする事があります。

一つの単語として定着してますね。

 

私もSNS疲れに陥り、SNSと言うSNSの全てのアカウントを退会した事があります。

 

ついこの間、知り合いの人気ブロガーがこんな事を書いていました。

 

「自分にとっての『普通』を保つと気分がいい」

 

SNSで、輝いている自分を過度に演出すると、無理をし続けることになり、自然で普通な自分からどんどんかけ離れて行くのかもしれません。

 

それは疲れるだろう。と。

 

 

 

今日、あるスピリチュアルアートの作家さんの個展に行ってきて、帰り道バスに乗っていて気づいた事がありました。

 

スマホ依存の心理

改めて、スマホに依存している人が多い。と言う事です。

 

SNSもそうなのですが、デジタルに依存する事で、何かからしきりに逃げている様な印象があります。

 

そこで考えてみたのが、こんな内容の事でした。

 

①世の中は、老若男女問わず、強いストレスを人に強いる傾向がある。と言う事実の仮定。

②そのストレスに人は常に追いかけられている。と言う事実の仮定。

 

追われているから、前に進んでいる

何かに意識を使う、と言うのは、前に向かってエネルギーを放っていると言う事だとイメージしてみます。

 

前に向かうエネルギーは、単体では存在し得ません。

その時、後ろから押しているエネルギーがある。と考えることが出来ます。

 

そこで、「後ろから押しているエネルギー」とはなんなのだろうか?と。

 

人それぞれ、そこに存在するまでにたどってきた道すがらのエピソードは違うはずですが、それぞれのエピソードに共通したエッセンスとは、なんなのだろうか?と考えてみます。

 

心の深層にある、没頭する事へのモチベーションとは?

以前「エニアグラム」と言う人格類型論の様な学問を学んでいた事があります。

 

その中で、人の心理の根底にあるモチベーションは、タイプ分けした場合三つある。と教わりました。

 

その三つとは、

 

「不安」「怒り」「恥」である。

と言う事でした。

 

「無意識に◯◯をしていた」と言う表現を使いますが、「無意識にしていた事」にも、こころの深いレベルでは動機があります。

 

この記事を読まれているあなたは、何かに没頭している時に、どんなモチベーションを持っていると考えたり、感じたりする事がありますか?

 

当たり前のことになっていることほど、「無意識に」なっていることなので、

意識の上にのぼらせる事が難しいかもしれません。

つまり、自分ではよくわからないと言う事もあるかもしれません。

 

しかし、よくよく見つめてみたり、考えて答えを出してみると、色んな答えが浮かび上がってきます。

 

さて、読者の方へ、皆さんの内面への問いかけをしてみましたが、

ここからは私の見解について言い及んでみようと思います。

 

時間軸の設定により、人は時間に追いかけられる

私が考えるのは、

みんなを追いかけてきているのは「時間」なのではないか、と言う事です。

 

何かをしなければいけない。

何かの結果を出さなければいけない。

何かを達成しなければいけない。

 

それらの意図は、全て、「時間軸の設定」がなかった場合、そこまで強迫的にならなくても済む様な質のものなのかもしれない。と考える事も出来ます。

 

どんなモチベーション、意図があったとしても、それらを表現し、形にすると言う事は、現時点において、未来と言う時間軸においてのみ、可能な事です。

 

その様に設定した時、「今」と言う空間は、それぞれ「空っぽ」なので、その空間を満たさないといけない。

未来は、満たされている。だから、未来に向かおう。

 

今と言う時間が空虚だからこそ、

過去と言う時間がマイナスに見えるからこそ、過去に追われ、今をスキップしようとするのかもしれない。

 

その様に誰かの心を想定する事が出来ます。

 

世界の常識を引きの視点で見てみる

では、時間に追われている自分を、救うにはどうすればいいのでしょうか。

 

そう考えていてすぐに思いついたのが、

 

「この世界の全ては張りぼてだ」

と見てみる。と言う事です。

 

不安を解消したいのか、

外にエネルギーを発する事で力を感じたいのか、

自己イメージを保つことにどこまでも尽力したいのか、

 

モチベーションは人それぞれでしょう。

 

その上で、「今」から見て次の時間にあるのは、それぞれのモチベーションをうまく果たした自分です。

 

しかし、もし古代の大自然の中に住む人が今の世界を見たら、

 

そして、もっと極端な例を挙げれば、遠い宇宙の果ての人間がこの地球に来て、全てを観察したとしたら、

 

と考えた時、ほぼ全てが意味のない存在の様に見えるかもしれません。

 

「色が付いている事が最も意味がある」のに、その全てが「色を失ってる」と表現するとわかりやすいかもしれません。

 

現実世界は、「全ての人による、全ての物事への共通認識と、その認識への信頼によって」成り立っています。

 

それを、疑ってみると言う事。

そして、本当は何の意味もない。思ってみる事。

それによって、その全てから、一旦は、自らの内面の中では自由になる事が出来ます。

 

つまり、世界は壮大な張りぼてだ!と見てみた。などと言う感じです。

 

実現したところで、虚しい。

と言う思いを、もっとポジティブにした感じと言う事も出来ます。

(ネガティブでも問題はありません。)

 

時間と言うものを客観的に見てみる

諦める=明らかにみる。

と言う事だと何度か目にしたり耳にした事があります。

 

保身する事を諦めるのは

生命の有限性(自分の世界はいつか消える)と、

認知の外には何もないと言う事実を明らかに見て、直面する事だと言う事が出来ます。

 

その上で、目の前で展開していることに、血眼になる事を選ぶのか、選ばないのか、と言う視点を持つ事で、何かに依存したり、焦ったり、没頭しすぎたり、と言う事から距離を置けるのではないでしょうか。

 

人のいのちは有限だと言う事実は変わらないけれど、

 

その時間の中で、

「今」と言う時間は

(細かく切っていけば、時間の最小単位に至りますが、)

その最小単位の時間がどれだけあるのか、その分だけ、ほぼ無限にあると言っても過言ではありません。

 

今、どんな状態なのか。

その状態を見たとき、「何かが根本的に足りてない」と思うのは何故なのか。

そして、「足りてる事」への条件を満たしたとき、本当に「足りてる」と感じられるのか。

今まで、何かを達成した後、次に向かおうとする足を止めて、じっくり達成してる今を感じる事が出来たのか。

満たされたと思える時間が持てたとして、心の奥にある虚しさを根本的に満たす質のものだったのか。

 

自分がどうなれば本当に満たされた自分になるのか、問いかけは無数に立てられます。

 

 

 

 

そんな引きの目線で見た上で、

「人生ゲーム」を挑戦と冒険の舞台として楽しむとき、「今」に余裕を持って挑める事ができるのかもしれません。

 

スマホSNSに依存しないで済むのは、今、この時点の自分が無条件で満たされていて、空虚さから脱している。と言う心のあり方なのかもしれません。

 

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