身体の感覚には「喜び」しかないと言う言葉を思い出した夜

こんばんは。

 

今日は久々に弾き語りをしてきました。

 

最近、鎧を脱いだ本当の自分とはどんな姿だろうか?と思案する事があります。

 

…実生活では、自分の思い通りになるならこんな自分がいいな、と思っていた自分像が脆くも崩れつつあります。

 

まさにアイデンティティクライシスと言わんばかりですが、

 

自分の本当のすがたとは、と思案している時点でそこに答えは無さそうだと気付き始めました。

 

今日の歌会の場でも色々気づきがありました。

 

色んな人たちの歌声を聴いていると、様々な雰囲気が伝わってきます。

 

激情の中に優しさがあったり、

 

色恋沙汰にしか見えない中に何とも言えない透明な憂いがあったり…、

 

歌はやっぱりいいなーと思います。

聴くのも歌うのもいいものですね。

 

でも、そんないい感覚が、今日はどの出演者の中にも見えました。

 

と言うか、こじつけた面もありました笑

 

でも、それでも何だか大好きだなーと本音で思わざるを得ない。

 

普段は見下したり、追い越そうとしたり、正直濁った心で見る演奏も、思考が静まっていると何だか全てが愛らしく見えます。

 

ジャッジはやはりあたまの方面で起きているんだな、と実感しました。

 

同時に、例え刹那の体験でも思いがこもっていれば強い力で心と魂を揺さぶる事が、歌や楽器の演奏には可能なのだ、と気付きました。

 

今日は自分のやっていることに誇りが、本当の意味で持てました。そして、明るい展望の中で可能性を探って行こうかな、

 

そんな思いの中、重い腰を上げたような気がしたのでした。

 

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