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気づきを前に活かす発想

今日の事なのですが、朝仕事から帰って来て一番に、未来日記を書きました。

 

未来日記というのは、その日のうちにする事を朝の段階で書いておいたり、夜寝る前に朝やる事を書いたり、、、そして、その決めごとを忠実に守って行くという習慣です。

 

私は今朝、

「水を味わって飲む」

と言う約束をしましたので、その通り、水を味わって飲んでみる事にしました。

 

…但し、実は口の中の粘りが気になっていて、特に解決法も探らずにいた数年前の事。口の清涼感を求めて、舌の中心を歯ブラシで磨くという荒療治をしていた事があります。

それ以来、舌の中心で強い味覚を感じる事が少なくなってしまっていたのです。

果たして、「水の味」を味わう事が出来るだろうか…?

一種の挑戦でしたが、やってみて色々と気付いた事がありました。

 

水一つとっても、こんなに気づきがあります。

気づきを産むという事は、外から自分を見つめる為の旅としても認められる作業ですし、

それを下記の様に見つめる事は、その一つ一つが、「先に進む為の材料」として採用出来る事として有用な情報になり、それを見つける作業でもあります。

 

 

気づきをうまく活かすと、人ととの関係にも洞察が生まれます。

自分との関係にも洞察が生まれます。

深い所で理解出来ると行動が代わり、行動が変わると習慣が変わります。

 

 

一つのルートに固執しないと、違うルートが見えてくる

 

舌の中心では案の定、味を強く感じませんでした。

しかし、舌の側面や、中心を補った全体で、強く味を感じました。

 

例えば、車のナビが例に挙げられますが、あるルートを外れても、必ず違うルートが導きだされます。

ちょっと、うざったい時などは、元のルートに戻る為の道筋が表示され、アナウンスされたりもしますね。

「この道しかない!」と決め込んでいても、実は他の新しいルートが有った事を知って、ほくほく顔になったりする事もあるかもしれません。

 

ある目標に向かう時、自分のやり方や、決め込んだ方法にとらわれないで、オープンでいると、まるっきり違う所から答えがやってくる事もあるんだな。

…などと深い洞察が生まれました。

 

また、「思い込みは、全体の補完性や調和を乱す事になる」という気づきも。

 

心をオープンにして、味を味わう事を感じようとしないで、

「私は味覚が薄いから」

と思い込んでいたら、味を感じても気付かなかったかもしれません。

 

これは、「自分は◯◯だから」「あいつは◯◯だから」「日本は、世界は、宇宙は、◯◯だから」と

自分の体験を決め込んでいると、外側からの何らかのメッセージや助力を見失う事になる、という事も導きだす事が出来るという事が言えそうだ、と思いました。

 

先入観で水を味わっていました。

冬の朝、冷たい水道水を飲むと、少し和らいだ身体の中心に冷たさが走ったり、

知覚過敏だったりすると、歯に染みたりして

「ひゃーーーーーー!」

という事になったりします。

 

今日も仙台は案の定寒い気候でしたが、

私はいわゆる「崇敬する神社」が近くにあって、外にある美味しい井戸水を一週間に一回ぐらいタンクで汲んで帰ります。

台所に置いてあるタンクの水は大変冷たくなっていました。

 

水の甘さを感じる時に、この冷たさが重要な気がするのですが、

この「甘い」という感覚、ジュースとかとは種類が違うな、と勘付いたのでした。

 

「砂糖」という概念が、知識としてあると、体験に結びついてそれなりの体験の感覚が生まれるのだ。と気付いたのです。

 

水が甘い、だともっと生物的な物を感じます(私は)。

有機的な感じ、、、とでも言うべきでしょうか。

 

体験に対し、先入観という思い込みが、色をつけているのだと気付いたのですが、私の場合、「水」というものに対し、そして「砂糖」というものに対し、なにがしかの色合いをつけている事になるな、と思ったのでした。

 

「思い込み」を変えたなら、どうなるかな?と思いましたが、試しませんでした。

 

皆さんも、何かを味わう時に、これは「光だ」とか「闇だ」とか色々色づけをした上で、感じてみると、自分なりの気づきがあるかもしれません。

 

そこに無理が生じたり、感謝を感じられたり。

自分の傾向や、世界の光の側面にフォーカス出来るなど、色々な良質な気づきが生まれます。

 

「気づき」とは「前に進む」為のマイルストーンだと思いました

私はどうも、何かを準備している時や、

自分のスペースに色々なものを揃えて便利空間にして時間を過ごすのがとてもリラックスする時だったりするのですが、

行動する時に準備がとても必要な人にはとても良い話になるかもしれません。

 

「水を飲む」一つとっても、こんなに気づきを発見出来る可能性がある。という事は、日常の体験全てが、「無明からの脱出」に繋がると言えます。

それはつまり修行です。

 

そして、「修行」って何なの?と考えた時、

「悟りに向かう為の積み上げ」

という認識を選択するとしたなら、

悟りに向かう為の準備を着々と進めている時。とも取れます。

それは、様々な「気づきというきらめき」の光のつぶつぶを沢山ストックするという認識の選択も出来ます。

(勿論、過ぎ去る道程として見るならば、未来志向の素晴らしい人です。)

死後、連れて行ける資産は、「体験」だけですよね。

 

こうやって、時間の蓄積を素晴らしいもので積み上げて行くとなる時、

ある種の人は、その場面場面の写真を自分の中に集めている感覚を得ます。

 

私はそれがとても心地よいのですが、それは自分の空間にいる、「今ここ」をとても快適なものにしてくれます。

 

そこに居座るだけでなく、それが自らの成長に繋がる事だとしたなら…一石二鳥でとてもいい結果を招き導く事が出来そうです。

 

「今ここ」にいる事を実感出来る為の、1️⃣方法にもなりますし、2️⃣道筋としても採用出来る場合がありそうです。

 

「飲む」を考察

「飲む」を「呑む」と書く事も出来ます。

 

よく「竜脈」と言いますが、氣の流れに従って地下水は道筋を作り、そのスポットが地表に湧き水として出る所…という説を聞いた事があります。

 

パワースポットというと日本では神社でしょうか。

神社では水が湧き出ている所が沢山あります。

また、アメリカでも聖地として有名なマウント・シャスタでは水が湧き出ていて、日本でも売り出している「クリスタルガイザー」として有名です。

 

水をそのように捉えた時、「パワーに反応しやすい物体」とも捉えられます。

水には「氣」が転写されている可能性がありますね。

 

「呑気」というのは、「気を呑む」から、気滞が生じず朗らかな人、という説も聞いた事があります。

 

水を飲むと、特に朝、空っぽになった身体には染み渡って行きます。

「はーーーーっ」と、ため息が出る事もあるかもしれません。

 

水を飲むという事が、気をのんでいる、水を介したエネルギーを頂いている、と思うと、自然と感謝の念が現れるのは、

「氣」を受け取って、身体が反応しているからだ、と考えるのも面白いなと気付いたりしました。

 

 

 

…今回は、水を介した気づきについて、私の体験をひも解いてみました。

 

今、どんな状態でも、「感謝を感じる心」が有れば、全てが光で照らされる様な気がしませんか?

 

勿論、自分を酷く攻撃する環境に身を置いて、我慢して何も感じなくする事ではありません。

 

自分を大切に、その上で、誰かの事も大切にする優しさがあると、自然と身体も心も柔らかく、暖かく、軽くなって行く様です。

 

気づきは、前に進む為に与えられるメッセージです。

自分と他人がwin-winになる様な生き方をする為に、そして、その先にある本当に心が満ちている瞬間の為に。

 

日常の体験の中からでも、それは導きだせます。何かを感じてみる事も、今回の私の様に行ってみると、もしかしたら、いろんな気づきがあるかもしれません!

 

それを工夫していくというのも、一つ日常の生活に彩りを与えてくれます。