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ポジティブシンキングとは〜マインドフルネスの世界から読み解く

世の中は殺伐としている。そんな感じを感じる人もいるのではないでしょうか?

そんな世の中なので、自分自身の心も、いつの間にか殺伐としているという実感が。

イライラして子供に当たってしまう。

人のミスが許せない。

恋人を束縛してしまう。それは間違っているのは分かっているんだけど…。

人を馬鹿にする癖があるけど、どうしても変えられない。

心が粗いエネルギーに満ちていると、どうしても目の前の人を変えたくなったり、誰かに依存してまで心の荒波を鎮めたくなったりしますよね。

 

では、なぜ心の荒波が、短いスパンで現れて来るのでしょうか?

それを解決するのにはどうしたらいいのか?

考えてみたくありませんか?

 

そんな発想に役立つエッセンスと、コツを今回はお伝えしようと思います。

 

誰の批判が一番怖い?

 

渡る世間は鬼ばかりと言いますよね。

世の中、いろんな人がいます。

攻撃的な人、嫌みを遠回しに言う人、言葉で伝えずに態度でこちらを変えようとしてくる人…

など、自分の領域にずかずかと入り込まれる体験はよくある事と思います。

 

しかし、もしマインドフルネスの発想を取り込むならば、その経験を自分に批判的に解釈し、捉え、思考しているのも、他ならぬ自分なのです。

 

例えば、上司に大目玉を食らう事があるかもしれません。

その人の性向により、その場面での、上司自体、起こられている感覚、自分像。など、人それぞれ個性が出てくるはずですが、

「上司に大目玉」という現象は、実は独立して起きています。

それを通りがかりの人が見たら、当事者としての判断はせず、ほぼ感情に波は立たないはずです(可哀想とか、こんな怒り方をして!という判断は生まれるかもしれませんが、被害者感情を深く感じるという事は無い、という意味で)。

 

「当事者だからこそ、当事者として真剣に考えてしまう」

これがもし

「部外者だからこそ、部外者として冷静に見る事が出来る」

にすり替わったなら。と考えてみましょう。

 

判断という色眼鏡は、その人それぞれ違います。なぜなら、見ている視野、空間の配置、バックグラウンドの人間関係、心理的な立ち位置〜生まれ持った気質も含めて…と、同じ背景を持つ人は一人として他にはいないからです。

 

そうすると、「判断」というものの絶対値はこの世には存在しない…という事がお分かりでしょうか?

 

という事は、もしも色眼鏡を変えよう、という判断と意思さえあれば、

「上司に大目玉」

という目の前の事実も、違う判断で見られます。

(勿論、感情は強いエネルギーなので、最初のうちは飲み込まれる事もあると思います)

 

その発想を持って、この目の前の事と、それを捉えている自分の判断・解釈を見つめてみましょう。

 

もし、上司に逆恨みをするならば、上司を批判する判断をしています。

その時、何とも苦しい気持ちになるでしょう。

こんな風に扱われる自分。上司に反発出来ない自分。憎しみを持っているという自分、上司の言う通りならばそんな指摘を受けてしまう自分…

連動して、上司だけでなく、自分を被害者にしようと思い始めると、プライドはそれを許しません。このままでは駄目だ!という思いは、今の自分が駄目だ!「駄目だ」という言葉は対象を否定している言葉なので、ここでは自分への判断が「自己批判」になっています

 

…実は、一番自分の事を、そしてダイレクトにハートに向かって斬りつけているのは他ならぬ自分自身なのです。

 

想像してみましょう。もしも、自分を強く批判しない自分だったならば、目の前の苦しみはどれほど半減するでしょうか?

 

さきほど、感情に飲み込まれるという言葉を使いましたが、普段から私たちは「自己批判」という思考の波にも飲み込まれているのです。

 

それは正に罰ゲーム。

ゲームと書くのには理由があって、深い所ではそれを楽しんでいる自分がいる事を、冷静に分析したなら理解出来ると思います。

 

そして、自分の判断をやめられるのは、他の誰でもない。自分が決める事なのです。

それは、罰ゲームをやめられるのは自分なのだという事でもあります。

 

自分が決めてしまえば、もっと楽になれる。という事でもあります。

 

マインドフルネスの応用

 

最近、マインドフルネスが多く取りざたされています。

それは、上記の様な批判思考をやめられるという自由を皆さんが求めているからではないでしょうか?そして、そういう意味でも、多くの人の意識が高い状態に吐いて来ているという意味でもあると思います。

 

もし興味を持たれたなら、マインドフルネスに関しては、日本内外で、様々な提言がなされていますので、もし実体験したい場合はAmazonなどで書籍を検索したり、近隣でそのような講座が開かれていないか、調べてみる事をお薦めします。

 

マインドフルネスとは「気配りをしている状態」という意味です。

周りの人への気配り…という意味も勿論含みますが、ここでは、思考、感情、体験の全てをつぶさに意識する…意識上に上げる…という意味が一番正しい解釈になります。

 

前項の所と合流させるならば、

「自分を批判している自分に気がつく」という事が言えます。

 

判断を加えないという大きな目標を持っているやり方なので、

「批判している自分」すら「批判しない」事になります。

 

体験してみると分かりますが、これが一筋縄ではいきません。

それをどうにかしよう、と努力するならばそれも「現状への批判になり」

それはいけないと言われていたな、と思った時点で更に「批判の一部」に入り込んでしまいます。

どこかで見限りをつける必要が出来てきますが、

批判しないというのは「飲み込まれないで判断しないで」

なので、「ただ見ている自分がいる」

でとどめる事で段々静まっていきます。

 

まとめるならば、

マインドフルネスとは「批判している自分に気付いて、受動的にやめていく」

という姿勢です。

 

受動的に…と書きましたが、これは流れに身を任せてしまうという「サレンダー」の感覚に近いです。

 

創造的エネルギーへのアクセス〜うつからの脱却

 

自己批判している時は、自分の未来にも悲観している時です。

なぜならば、現在の駄目な自分という判断は、ひいては将来にも同じ事が連鎖する、という判断でもあるからです。

 

その時人は将来を楽観視出来ないので…つまり、将来を創造する、という大きなモチベーション=エネルギーの源泉が断たれている事を意味します。

 

もしも、自分の人生が自分のコントロール下に置かれていれば、きっともっとやる気と勇気が湧いてくる事でしょう。

 

創造的エネルギーとは、誰の心の中にもあります。

どんなに切羽詰まっていても、乗り越えられるという確信、つまり、将来を創って行ける、という気概一つ持てば乗り越える為の行動が出来ます。

 

建設的な対応が出来るという事ですが、それが正に創造的エネルギーです。

 

どんなに落ち込んでいたとしても、このエネルギーにアクセス出来れば寸座に自然に居住まいを正せます。

 

その迂回路として用意されているのが、「批判を続ける事で自分が自分のやる気を落とさない」という発想なのです。

 

1️⃣マインドフルネスを習慣化する(時間はかかるが、その後の人生の荒波に建設的に対応出来る能力が備わる)

2️⃣自分のお気に入りの場所を想像してみる(神社、海、山、森など)または、自分の住まいの環境を整えてしまう(大好きだと思えるインテリアで包む、または、出来る範囲でいいので、拭き掃除をしてみる)

3️⃣手軽に出来る事で、心を満たす事の出来る行動をしてみる

4️⃣サウナ、熱めのお風呂に入る

 

など、気分転換という発想だけではなく、自分を批判している黒いオーラから一旦置いておいて、抜け出してみる、という発想で出来る事から始める事が出来ます。

 

これから、人生を創って行くんだ!と決めたなら、それは実現します。

継続してその指針を持ち続ける事が大事ですが、

ポジティブシンキングな人は、どんな事があっても「それでも人生に向き合う」と姿勢の裏に、創造的エネルギーとのアクセスという資質があるのかもしれないと私は思っています。

 

濃密な時間を過ごして人生にポジティブになる

 

私が初めてマインドフルネスの本を購入したのが、

ジョン・カバットジン博士の本でした。

 

その本の中に、サイケデリックな装丁の中でこの様な記述がありました。

「初めて物事を見る様に、全ての物事を見つめてみる」

 

これは、とても強力な方法です。

 

マンネリ化という言葉にどんな雰囲気を持つでしょうか?

灰色の景色、だらけた中だるみの時間、うんざりする様な人間関係…etc

 

それを、思考から変えて行くという発想です。

 

「いつも通り」というのも判断です。

判断を切り離せたなら、そこには純粋な生身の存在があるだけです。

過去が◯◯だから、明日も◯◯

というのは、実は嘘だと言う事が、震災でも明らかになったのを目の当たりにした人の沢山います。

 

次の瞬間には、全く違った存在として、そこに物事がある。

極論そのように言っても、実は物理学的にもその事実が「真実」なのです。

 

新しい物ばかり、という視点で物事を見た時、どうしても感動が生まれてしまう様です。

 

それは「全く違った可能性が、目の前のものに宿っている」というもの。

 

マンネリ化という黒い可能性から比較したなら、それはとても神々しい物として、コントラストしてしまいます。

 

つまり、心の深い所からの、ポジティブシンキングがそこにはあります。

 

時間の流れが速いというのもそこに関連している様な気がします。

 

「足るを知る」と言いますが、当たり前にある当たり前の事を、当たり前ではないと思考するというのもこの一つでしょう。

ちなみに、「当たり前」も判断です。

 

判断の先には、「当たり前」が無い、つまり「奇跡という程ありがたい(有るという事がなかなか難しい、という意味での)」という視点が生まれるという事を考えると、人間というのはその中心に素晴らしい輝きを持っている、という事を感じます。

 

有り難い=感謝

感謝=「謝るを感じる」

 

そのように思った時、

「謙虚に生きる」事の素晴らしさが、本当の幸せと一緒くたになっているという事実を見逃せない様な気がします。

 

そして、「謙虚」とは「エゴに振り回されていない。という意味でもあるかもしれません。

 

総じて、こういった瞑想のもたらす効果というのは、心の深層にある輝きに蓋をしている黒いものを諦めて手放し、純粋な状態を導く「浄化」の作用により生まれるエネルギーの純化なのだと思います。

 

 

※昨年末、近くのダムに赴きました。

雪が積もっている中、ダムの展望台に歩を進めてみると、暮れの夕方という事もあり、人は全然いませんでした。

鳥が鳴く声以外は全くの無音。

吹雪の風が耳元を通り抜けて行く音だけが耳の奥に響きます。

すると、ちょろちょろという音が少しだけ聞こえてきました。

展望台の下には、川が流れていました。

何故か、雪景色の中にあるその流れが、奇跡の様に感じ、聞き入ってしまいました。

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