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マイ・ストーリー〜見えない世界への傾倒編〜3️

前回は、色々な見えない世界へのこだわりが生まれ始めた経緯を書き綴ってみました。

 

今回は、「見えないもの」を身体と目で体験した経験を書いて行こうと思います。

 

世界観を作る楽しみ

 

小学生を出始める辺りから、何故かサラリーマンになる事に抵抗がありました。

会社で仕事をしている自分…がどうしても受け入れられず、その頃に出会ったのが、藤子不二雄A先生の「まんが道」という作品のシリーズでした。

 

最初は、登場人物の設定を考えるのが私にとってはとても楽しい事なんだという事に気付くところから始まりました。まんがを書くまでには至らない事の方が多いのですが、登場人物同士の人間関係を作って行ったり、現実世界では起こりえない様な、ファンタジーの世界観を作って行く事にどハマりしました。

 

それは、藤子不二雄先生お二人が、まんが道の中で登場人物の設定からまずは始めて、まんがを作り始めているのを読んでいて知った事に端を発しました。

 

その他、ストーリーを作る事に楽しみを感じたり、世界観を設定して作り上げて行く、正にクリエイティブな事の入り口に居る事がどうにも居心地が良い事に気付くのでした。例えば、RPGのアドベンチャーブックと呼ばれているものを作ったり、小説を書いたりと…。この時点では、音楽には興味を示していなかった私ですが、事あるごとに音楽との縁が深まっている事に今となっては気付きます。

 

まんが家から、イラストレーターへの進路変更

 

サラリーマンにだけはなりたくない!

そう決めた私は、まんが家という不安定な仕事ではなく、イラストレーター、更に、調べて知る事になった、グラフィックデザイナーを目指す事にしました(それもサラリーマンのうちだとはなぜか気付きませんでした)。目標を漠然とさせたまま、中学二年生の時点で、大学は東京の美大にする事を決めました。

 

高校に入ってすぐ、次の年に新設される高校に「美術コース」が有る事を知り、思い切って父親に高校中退のお願いをしましたが、、、

猛反対され、泣く泣く諦める事にしました。

 

その高校が新設された翌年から、仙台市内の美大予備校に通い始めます。

体験教室に行くと、まずは椅子のデッサンをさせられました。

直観で感じた事は、「あ、これ、なんか違う」というものでしたが、その直観を信じずにそのまま突っ切りました。

すぐに入学を決意し、親に頼りながら通学を始めました。

 

直観で感じた事は如実に表れるもので、絵は遅々として上達しませんでした。

 

ストーリーを考えるのが好きなのであって、ゼロから1を作りだす様な創造的作業が好きだった訳ではなかったのです。

 

専攻したコースはグラフィックデザインコースでした。

 

ここから二年間に渡る苦しい日々が始まります。

 

オーラを感じる様になる

 

高校卒業も間近になるまで、ほぼ毎日アトリエに通います。

 

絵には人柄が出ます。

私は、どうも柔らかいぼんやりとしたものが絵ににじみ出る様になりました。

 

しかし、そこは個性がどうのという事を大切にするより、大学にいかにして受かるか、という事を推進する場所だったので、その一点については事あるごとに指摘される様になりました。

 

うまく描ける様になる為には、発想の転換が必要でしたが、批評会という一週間描き上げた作品をみんなの前で先生が論評するというミーティングが終わるとすぐにまた違う作品へ…と忙しく、反省してどうすれば良いかという事を吟味する暇が無くなって行きました。

だんだんとエネルギー不足になります。

また、狭いアトリエで人が沢山いる空気は、どうにも私には苦しいものでした。

よく「パーソナルスペース」と言いますが、その現象の裏には、心理的な空間を「感じる」という知覚の層が身体に有るという事だろうと今となっては思います。

 

血眼になったり、喜んだり、攻撃的になったり…という人々の中で、人が発するオーラの圧力を感じざるを得ない状況になっていました。

 

また、水彩コースに進路変更をしたあと、卒業を間近にして、⬇️の様な絵の描き方、モチーフの見方を学びました。

 

大抵、水彩というと、大学の日本画コースを目指す人が勉強する分野です。

水彩は、よく小学校などで使われる様な「不透明水彩」ではなく、「透明水彩」を使います。

絵の具の膜ができると、その上から更に塗り重ね、絵の具が透明なので、下の色が混ざって透けて見えます。

 

その特性を利用して、乾いては塗り重ね、また違う箇所へ、という塗り方をしますが、

 

一つの物体が作る影には、周囲の色々なものに反射した光が混ざって見えているんだよ、

と伝えられました。

 

例えば、グレー一色では表現できないので、時にはピンクが入ったり、ブルーが入ったりと、それを見つめる目をひたすら鍛えました。

 

今、虚空を見つめていると、物や人の周りにめらめらと燃え立つ様な陽炎の様な物が見えたり、時には色に変わったりとするのを感じる事があるのですが、

その下地になったのは、こういった、普通の日常生活では感知し得ない様な色の世界を感知する様に鍛えた事も一つあるのかもしれない、と思考したりします。

 

調子を崩し、アート作家の夢を諦めるまで

 

日々、ペットボトルの紅茶と、栄養ブロックを食べる毎日…

今だったら絶対しませんが…

 

食事の面からも、規則的な生活からも逸脱し、

人々のオーラに影響を受け…とやっているうちに、

ある日ぷつんと糸が切れました。

 

東京芸大という難関を無謀にも挑戦しようとして家を出ましたが、

突如不安に襲われ、仙台駅まで行ってとんぼ返りしました。

 

家に帰ると、親の反応は思いのほかシビアでした。

怒られるという事ではなく、悲しみを露呈され、

どうにも身の置き場の無い思いに駆られました。

人の悲しみを目の当たりにして、自分にその解決に出来る事がありながら、エネルギー不足で出来ないというやるせなさのため、しばらく鬱状態に入り込むきっかけになりました。

 

焦燥感と、絶望感と、悲しみと…

 

もはや自分のオーラを保つ事すら出来なくなっています。

いや、オーラはあったのでしょうが、限りなく灰色だったのだろうと思ったりもします。

 

そして、数ヶ月に渡り、家に引きこもる事になりました。

 

体調を崩し、数年間リハビリ生活を送る事になりました

 

引きこもっていましたが、生活を改めようとは発想すら思い浮かびませんでした。

 

最初は体力的にもタフで、夜勤の仕事を始めたあと、出勤前に縄跳びを数十回してトレーニングしたあと、自転車で遠い所まで通勤、とやっても、特に問題のなかった普通の若者の状態から、段々とエネルギーが切れて行く様になり、仕事を辞め、心理カウンセリングを受けたり、気ままな生活へとシフトしていきます。

 

しかし、食生活は相変わらずずさんなもので、1日一色、大盛りの袋麵を作って、

牛乳一本と白米にゆかりをかけて食べる、という事を1年半ほど過ごした後、体調を崩し、入院する事になりました。

 

病気の影響は凄まじく、しばらく体調が上がらなかったため、リハビリ期間を必要としました。

 

リハビリを終える前に、女性と二人暮らしをしたり、通信制の大学で心理学を学んだり…としながら、しばらく経ち、いつの間にか高校卒業から十年が経っていました。

 

そんな灰色の様な生活の中で、唯一気になり始めてときめいたのが、

オーラソーマ

と「レイキ」でした。

 

オーラソーマは直観で自分にその時マッチした色合いのボトルを選び、そのボトルのメッセージから今の自分、過去の自分、人生、と、メッセージを受け取り、教えてもらうというセッションです。

 

私は元々「癒しの仕事」をする運命だと告げられました。

その他、ズバズバと私の特徴が当てられて行きます。

こんな凄い事がおこるんだ!とカルチャーショックでした。

 

レイキは、当時書いていたブログで、「4」という数字が天使の数字だと伝えてくれていた方が、アチューンメントというレイキヒーリングの伝授をしていた事から知ったツールでした。

 

但し、その時点では病気の人は伝授は受けられない、という事だったため、その時点では諦めますが、その後社会復帰を果たした後、再び違う方に伝授をしてもらう事になりました。

 

地に足がついていないというのは、着実な地歩が歩めていない人にとっては当然の結果ではあります。

その理由を根本から解決…つまり、現実の目の前の事実に適応する様な道を選ばない限り、いつまで経っても、地に足をつけて、目に見えない世界へ分離するのを辞める事が出来ない事を意味します。

 

私の前半の人生から伝えられている事は、

「もしも引け目や負い目のある事があるならば、そこにフォーカスして少しでも成長しなければ、どんなに違う事に逃げても本当の解決にはならないよ」

というものでした。

 

見えない世界に偏重する人にもなにがしかの理由があります。

 

火の無い所に煙は立たない

 

は正に宇宙の真理なのではないでしょうか。

 

ある人が、特性を活かして環境に定着する。

その為に、ある人がその凹を凸で埋める働きが出来る。

そこに感謝が生まれ、それがその人同士の仕事になる。

 

そんな世界が私の理想とする世界です。

 

今、世界は経済・産業主義から疲弊しています。

それは、土壌汚染、水質汚染などの地球自体の疲弊でもあり、

もはや頭打ちになりつつある同じ在り方の中で、人類も悲観的な見方による疲弊を起こしている様な気がします。

 

このブログは、そんな世界になるにはどうしたらいいのか、を考察し、

読んでくださる方が自らの個性をいかんなく発揮出来るお手伝いをさせていただきたいと考えて書き綴って行きます。