マイ・ストーリー〜見えない世界への傾倒編〜①

私が見えない世界に深くて大きな力への魅力を感じる様になるまでには、色々な経緯がありました。

 

今回から、何回かに渡って、現在に至るまでのストーリーを書いて行きたいと思います。

 

 

 

見えない力との繋がりがありました。

 

私が生まれたのは今から38年とちょっと前の事。

日食の夜でした。(その後大好きだった「仮面ライダーブラック」に出てくるシャドームーンと同じ経歴だ!と思った小学生の頃の私は、時々、かげろうの中、歩を進めるシャドームーンの歩き方を真似したりしました。…今思えば、とても自分の世界に浸りやすい子供でした)

男の子が生まれるのを心待ちにしていた祖父が、兄が生まれた時に名付けた文字を一文字とって、「善い人になるように」という願いが込められた(…はず)という名前になりました。(ちなみに兄は「雅(みやび)な人になるように」という思いが込められていた(…はず)という名前でした。)

 

ちなみに祖父はもう他界していました。

 

祖父が亡くなる前夜、とてもよくしてもらっていたという母は、夜中まで布団のそばにいたそうです。(ちなみに、それから何年かして、父が他界する寸前も、母は同じ様にして父との時間を過ごしました)

暗闇と月明かりの中、祖父の穴という穴から、青白い発光体が外に抜けて行きました。

これは何だろうか?と思っていたところ次の日祖父は亡くなったという事です。

母は、今でも見えない力を持っていて、地元で口コミで広がっている有名な占い師となりました。

 

興味を持つ事と、具体的な力がつく事がリンクしているかどうかは別として、私の中には何かDNAにインストールされたものがあたったのではないかと思います。

ちなみに、母の祖母はイタコとして生計を立てていました。

 

 

「癒し系」と言われ続けた半生

 

…私の名前ですが、良いか悪いかは別として、案の定とても良い人…というか、お人好し?な人間になった感があります。

▶︎他の人は「癒し系」とも呼びますが、私は甘んじようとは今の所思っていません。

 

今のそんな雰囲気のエッセンスが外に放射されていたのか、今写真を見てみても、とてもマイルドなイメージを持った赤ちゃんでした。

窓から私が笑って見つめているのを見ると、みんな喜んで手を振ってくれたというようなエピソードを伝え聞いています。

 

私はとても個人主義なところがありますが、癒し系と言われていた事が、私のアイデンティティの形成に深く根ざし始めていました。

元々、私は人と楽しく過ごしたい思いと、一人でいたい思いがごっちゃになっている人間でしたが、もしかしたら「人と楽しく過ごしたい」は、癒し系の自分でいたい、という信念だったのかもしれません。

 

「優しい」と「愛念」というものは違う物だという事を身を以て知った現在ですが、人生の道のりの中で出逢った様々な能力というのもまた、大きく見るととても緻密に組み立てられた個人にまつわる神話なのではないかと思ったりもします。(後に、どんな経緯があったのかも書きたいと思います)

 

ちなみに、私がやっている「弾き語り」の大きなパーツ、「歌」もまた、ヒーリングの一つだろうと深く感じたのは今でもカヴァー曲を歌い続けている、河島英五さんの「生きてりゃいいさ」の動画を見たときでした。

私が、「歌う」事に目覚めたのも、偶然ではないかもしれません。

 

興味を引かれた事と今も続く事

 

興味を惹かれたのは、本を読む事と、怪獣図鑑を見る事でした。

何かとても特別な世界の中に浸れる、そんな安心感があって、ひたすらそればかりしていました。

「自分の世界」を作り上げている瞬間が今でも好きですが、おままごとに使う様な女の子向けの小さな箱庭で、日がな遊んでいました。

少しずつその感動に蓋をする様になってしまったのですが、今も心の根底には、「自分の領域」を形にする事がとても好きな私なのです。

 

幼稚園の時代は、とても長く感じました。色々な思い出がありますが、水たまりがとても好きで、雨が降ると長靴を履いてその中に足を浸しました。

今でも、「水」がとても好きなんですが、なぜなのか。

この間も、「泉ヶ岳」という近くの山までドライブして、流れる川を長時間感じる事をしてきましたが、特にとても透明な水を見つめていると、何とも言えない良い感じを感じてしまいます。

みんなそれは同じなのかもしれませんが、相対的な感動が人よりも大きいのではないか、と思ったりします。

 

個人的な領域や世界全体の危機を癒したいという思いが出来上がるまで

 

車の中で家族に向かって訳の分からない言葉で歌ったりしました。

家庭の状況は今思い出してもクライシスな状態でした。

私はもしかしたら、深いところでみんなを癒したいと思っていたのかもしれません。

楽しいドライブの時間ですら緊迫していた(…はず)の空気が、しばし和やかになります。

みんなが和んで笑顔になるのを見て、安心すると同時に、何かとても大きな使命を果たした様な気持ちになり、それから何年間も、そうやって人を笑わせる事が大好きになりました。

…今でも、時々はっちゃけて人を笑わせる機会がありますが、飲んだ時か、ステージ上だけです。

そもそも、色々な自分の一面を見せてまで人を笑わせようとしているのは、虚栄心からだといつも思ってきましたが、それはいつもそんな幼少時代の私を冷ややかな目で見つめていた兄の目が私の深い所でいつも気になっていたからなのかもしれません。

今となっては、やはりどこかで人の悲しみを癒したい、という思いが確かに有りますが、そこにたどり着くまではとにかくそんな冷ややかな目がどこかから飛んでくるのを感じて、いつも居場所が無いような感覚に苛まれていました。

 

しかし、その後の経験もふまえ、沢山の辛い思いもまた、誰かの癒しに反映させるためなのではないか、と、思ったのは、

自分が何の打算もなく書き上げた(書き上がってしまったというくらい、何も考えていないうちに形になっていくのですが)歌詞が、そういう「悲しみを癒す」メッセージばかりだという事にも根拠を感じたりします。

 

私はとても広い世界を感じる癖があります。

世界の暗黒の一面を、どこかで危機感を持って見つめている自分がいることに疑いの余地がありません。

それは、どこか、その悲しみを癒してあげたい、という深い心の欲求と反作用で支え合いながらそこに保っている「世界の一部」の様な感覚です。

 

家庭での過ごし方から、どんどん飛躍しましたが、私は少しずつ、そんな生き方を強い形にしてく事になっていきました。

 

「力」の希求。それを満たしてくれたのは…

 

日々、感動したり、悲嘆したり、感受性が人一倍強いだけに色々な感覚を味あわせてもらった訳なのですが、

そんな日々から受け取って来た…というか、受け取り方のパターンが、

「力を持とう!」

というものでした。

 

家庭は毎日父と母が壮絶な口喧嘩をしていて、その不満は私たち兄弟にもとばっちりとして飛んで来ていました。兄も姉も、そして私もだいぶ屈折していました。

 

私は、「家庭を癒そうとしても、癒せない」という無力感に苛まれていました。

 

不安と、無力感と…

 

そんな時出逢ったのが、誰が買って来たのか、今となっては分からない、おまじないの本でした。

 

独特の画風の漫画で図解しながら、特に日本古来のおまじないが沢山載っている本でした。今でも使い続けているのが、仏教真言の一つである「光明真言」と「不動真言」。(暗闇の中歩いていて、ふと後ろから追いかけてくるものを感じて不安になった時は、「不動真言」をよく唱えます。協力な真言なので、本来なら気をつけて使わなければならないという話が、その本には書いてありましたが)

 

月や太陽を見ながら行う瞑想の方法も載っていました。

今でも時々試したりしますが、独特の感覚があります。

 

そして、その本には善くないおまじないも書いてありました。

それは日本の古代から伝わる様な「呪詛」のやり方でしたが、それら光と闇の方向性を持ったその本から、「力」を感じた私は、その独特な力の世界観に惹きこまれ、その世界にはまるようになっていきました…

 

続く