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夏の夜、お祭りの情景に思う事

こんばんは。

今回はお祭りの情景に思う事を書き綴っていきたいと思います。

 

 

 

…この間、仕事帰り近くの住宅街に車を走らせているとおみこしを担いでかけ声を掛ける小学生の子供達の集団を見かけました。

 

懐かしいな、と思って見ていました。

 

地域のお祭りで街なかをおみこしを担いで練り回った昔の思い出をふと思い出したのです。

 

夜に入りかけたぐらいの夕方の時間、街は黄昏に包まれていました。

空は、直観で日中の暑さを反映しているんだな。と、感じられるような紫とピンクの鮮やかで仄かな色合いに染まり、遠くに浮かぶ薄い雲にもその色が透けて見えます。

 

近くの公園には出店とステージが設営され、公民館ではおにぎりが沢山作られていました。

かき氷を掻く音。出店に使う発電機のどどどという音。どやどや響く老若男女の声。

町中の人々のエネルギーがそこに暑苦しく集まっている様な、そんなワクワク感と危機感。

おみこしを担ぐ身体はじっとりと、塩の膜が張った様に湿っていて、髪の毛のすそは汗で濡れて少し涼しく感じました。

Tシャツも、濡れそぼっています。風が吹くと、ぬるい空気の中で一瞬寒気がするぐらいのひんやりした感覚…。

 

情景が心に浮かんできました。

 

 

…ところで、お祭りとは、「お祀り」の事。

子供の頃からそんな思いでお祭りを見つめていました。

 

その当時、少し遠い所で開かれていた大きなお祭りは、正にその名の通り神社で催されているお祭りでした。

少しひなびた感じがして、神聖な感じはその当時は感じなかった様に覚えています。

でも、今考えてみると、当時からの疑問には確かに答えてくれていた訳です。

 

お祭りは、地域の楽しみとして開かれている様に思えたけど、では、祀っている神様は?

どこのどの神様を崇敬して行っているんだろう?

 

 

 

それから二十数年経ちました。

今では大人になって、その頃の自分と同い年ぐらいの子供は小さな子供に見えます。

大人になってもそんな、「お祭りの矛盾」見つめる目は変わらず。

 

でも、そんな疑いの心を溶かしてくれる一文と出会いました。

 

「お祭りというのは、神様に陽気なエネルギーを奉納しているんです。」

 

誰が書いていたのか、今はもう覚えていないのですが、妙に腑に落ちて覚えていました。

 

その考えを使って考えてみると、合点がいきます。

 

陽気な感じを沢山味わう事が、ひいては遠くの神様を喜ばせている。

 

神社で行われていなくても、日本人のDNAに刻まれた、八百万(やおよろず)の神々を祀る思いが、もしかしたら無意識にこの「お祭り」というイベントを各地で定期開催させているのかもしれない。

 

一心に熱いワクワク感を燃やしてお祭りをする。それも特にその感覚を純粋に残している、子供達が一生懸命大声でかけ声を掛けて、楽しくおみこしを担いで、町中を練り歩く。

町中に、そんな凄まじいエネルギーが、静かに充満してく様な感じ。

 

神様が喜ぶという事を抜きにしても、みんなが何となく楽しい。

 

その感覚は、様々な憂鬱な思いを一瞬でも忘れさせてくれる様な凄い力がある。

 

奉納したものがそのまま循環して自分達に返ってきている。そんな見方をすると、なんだか清々しい思いがしました。

 

こういう形で繋げて考えてみると面白いし、疑問がスッキリと解決した感じがしました。

 

入道雲がそびえる夏空が夕焼けの紫色に染まった景色。

様々な思いが交差するお祭りの景色。

 

何か特別な思いで見つめてみると、色々な事を感じ、気付けるかもしれません。

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

皆さんの今日の疲れが、癒されて行きます様に。