脱力

今日、仕事で色々な事を学びました。

それは、ルーチンになった事の中から精神的な事を学ぶ旅のような気持ちで見つめて受け取ったものでした。

 

私は今、接客業をしています。

何故か、人づてに仕事の話を頂き、苦しいながらも頑張り続けて2年。

今に至るのですが、元々敏感な体質のせいか、毎日相当なダメージを食らって家に帰るのが定例になっていました。

 

正社員として働いてたインターネットの仕事に返り咲こうとして、結局踏みとどまって、それからしばらくして、

黒澤全公式サイト

黒澤全さんと言う、仙台で人の相談に乗ったり、講座を開いている方に出会います。

この巡り合わせは、元の仕事に戻っていたら、出会う事が出来なかったのでは、と思う様な偶然の出会いでして、教わってきた事は、他の方が教えている事とは一線を画すものでした。

 

私は正直、成功して親孝行をすれば、それが一番の望み!と思っていたのですが、それも刷り込みの一つだと気づく過程がありました。

 

自分が受け取る、その事ばかり考えているので、周りからしたらいい気持ちで見つめられる存在では無かったはずです。

 

単純に与えられたなら嬉しいのが当然ですが、それは私自身だけでなく、周りの人たちも同じだったわけです。

 

私は、周りの人に何か手を差し伸べていたかな?と気づきました。

 

沢山持つ、奪い取る!と言う先には、満杯になったら周りに還元したい、と言う思いがあるからこそ、と自分を省みていて思いました。

 

しかし、その深いモチベーションに従うなら、今すぐにでも出来る。

 

そんなことに気づきました。

 

今日はお客さん達の大半が、喜んでくれている様に見えました。

 

頑張って、頑張って、頑張って、

の先には、誰か特別な人に向かって心を向けている自分がいました。

 

日々、休む暇もないぐらい、毎日、毎瞬、頑張ってきましたが、

 

誰のことも根本的には自分が満たしてあげる事が出来ないのだ、と気づきました。

 

黒澤先生からは、そんな緊張感を解く必要があると言うアドバイス。

 

そして、日々試行錯誤する中で、その試行錯誤すらも、必要が無い事が分かりました。

 

奪い取ろうとして、頑張っていたわけです。

 

脱力する理由が欲しかったのですが、理屈抜きに、頑張らない自分を許していると、自然に周りに施そうと言う気持ちが内側から生まれてインストールされていきました。

 

誰しもある運命的な出会いがあると思いますが、私の場合もまた、運命的な出会いだったと思います。

 

的確なアドバイスでした。

 

・頑張るモチベーションがどこにあるのか?

・自分の限界にとどまる事をした上で、本当に嬉しい瞬間を得るにはどうしたらいいか?

 

現実に立ち返って、考え続けて、漸く答えが出ました。

 

ありのままでいい、と言う言葉に多くの人が癒されるのは、

恐らく、何かに応えようとして、擦り切れる程に頑張り続けた結果かもしれない。

 

誰かに同情する為に頑張るのではなく、

 

誰かが遠くで一人幸せを感じているのを許す為に、行動する、

 

そんな気持ちがあったなら、爽やかな気持ち良さが現れてくる。

 

そんな事を実感しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

新年あけましておめでとうございます

こんばんは。

 

だいぶ遅れましたが、新年あけましておめでとうございます。

 

今年の始まり、1月1日の朝は、いつも行く青麻神社への初詣から始まりました。

 

写真を撮り忘れていたのですが、日の出前に出発したので、道の途中、辺りは真っ暗でした。

 

神社に続く車道はとても暗い、人通りの少ない道です。

でも、何故か嫌な雰囲気はなく、神妙の気持ちで道を進んで行きました。

 

もう沢山人がいるのではないか、と思って神社に着くと、あまり人がいませんでした。

灯籠に火が灯り、辺りはこじんまりとした落ち着いた空気に染まっていました。

 

誰かが、「人の欲望の集まる場所になってしまっている可能性のある、神社という場所」について話していたのを思い出し、

 

よし!この機会なら年初のおみくじも変な影響は受けないだろう、とそう思い、おみくじを引いてみました…

 

 

 

…実は、この神社に夏頃来た時に、ふと何かの本で書いてあった事を試してみようと思い、試してみた経緯がありました。

 

神社に鎮まる神様に、境内の中で話を聞いてもらう、という「見立て」を行う方法。

 

いろんな会話が頭の中で巡りました。

 

その中で印象に残ったのが、

 

「愛とは「合い」である」

 

という話でした。

 

言霊をひも解く発想を、今お世話になっている黒澤先生から聞いていたところでした。

 

それ以前から、おみくじを引いても、どんぴしゃりのメッセージが書いてある、とか、

 

何だか分からないけど、ふと行きたくなる場所であったとか、

 

これは「愛」だろうと思って、頭の中で神様に質問してみると、

 

それは「合い」なのだ、という事でした。

 

 

愛を感じる関係、何だか好きになってしまう場所。

そこには、「合う」力が存在していて、フィットするという空間の現象には、引き合う力があるというもの。

 

つまり、青麻神社のスペース=「空」は、私の身体に重ね合わせたがっている、という事でした。

 

…と、端から見たら何の事やら、という様な妄想チックな世界の中で、脳内の検索機能がフル回転しながら、また、何かのエネルギー?的なものが私に伝えてくれた事の内容のシェアでした。

 

おみくじには、きっとまた何か愛の籠ったメッセージが有るに違いない、と思い引いてみると、思いのほかいい結果でした(内容はここでは公開しない事にします)。

 

もう一つ、アクセサリーの入っているおみくじを引くと、そちらは少し良くない結果でしたが、メッセージは正にどんぴしゃりな内容でした。

 

仙台の伝統工芸の品であるだるまを親にお土産に買って、その朝は家に帰る事にしました。

 

ところで、このだるま、頭の部分が青くて、胴体下部分が赤く、そこには白い筆書きがされているのですが、今まで派手だな、とは思ってみてはいたものの、よく見てみると、その白い筆書きは「蓮の花」の模様の様に見えます。

 

赤は第一チャクラの色。

 

何だか象徴的な物を見たな、と思いました。

 

私は多分まだ物欲は手に入れる物というものに左右されるという現状があります。

大切にすべきものは大切にして、、、と考えると、いろんなカテゴリーがあります。まずは、生活の基盤を充実させる事も考える事になります。

 

勿論、その中にも、何をするのか?どのように生きるのか?も散りばめながら。

 

今年の抱負は、「テーマを決め、着実にその方向に向かって進む事」です。

 

年初の目標は一昨年から決め始めてましたが、挫折に終わりました。

 

でも、今回は、叶ったイメージが身体に根付いているのを感じて、それはとても自分にとって本望な感覚なので、

 

その「生き方」にまつわる感覚を大事にして、日々成長していこうと思いました。

 

ちなみに、そのテーマとは「いろんな意味で喜びに満ちあふれている」という事です。

 

 

…勿論、頑張らないで、という事も大事にします。

今日は、何か課題を解決しようとしなくても、そこにいるだけでいいんだな、と感じ、胸の奥が温かくなる思いを感じた所でしたので^^

 

 

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

また記事を書きますので、どうぞ遊びに来てくださいませ。

 

 

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みそかもうで

今日は青麻神社にみそかもうでに行きました。

 

まず、井戸水を汲む為に車を停め、降りると

おじいさんが井戸の前で何かしています。

 

近づくと

「水出るかね?」

 

何度か、時間をかけてポンプを使って水をくみ上げていたので、試してみると簡単に水が出ました。

 

「汲みますか?」

 

と聞くと、

「いや、境内の水を汲む。ここの井戸水は何だか匂いがする。生水ではね…」

と。

 

何をやっていたのか、とても気になってのですが、タンクに水を汲んで、境内にお参りをしました。

 

おじいさんは、神殿の中をしきりに見つめています。

 

変な予想が思考をよぎりましたが、実はただ単にいつまでも好奇心が旺盛で、いろんな事が気になる人なのだな、と結論づけていました。

 

違和感とともに不思議な羨望の気持ちが生まれます。

 

この何年間かで、心ときめく好奇心なんて何個感じたかな?

そんな事を思いながら、

 

もう初詣の準備ができている売り場スペースへ。

 

仙台の伝統工芸で有名なだるま像を買いました。

 

ここでふとイメージが頭をよぎります。

 

ドラえもんで、のび太のおばあさんがのび太を励ます為に伝えたセリフ

 

「転んでも転んでも起きる」

 

で、つい思惟していると、

「転ぶ事がきっかけで、立ち上がるという事が起きて来る」

「立ち上がるという現象は、転ぶ事によって成り立つ」

 

そんなインスピレーションが生まれました。

 

失敗した…と思う事は多々ありますが、それも経験をさせてくれた「自分と他者」という二つの群像があります。

 

失敗させてくれた…という方が正しいかもしれない。

 

立ち上がる経験を導いてくれてありがとう。

 

そんな気持ちになり、少しにやにやしていました。

 

 

今回の一連の出来事は、

「思い込みは、闇も作れるが、光も作れる」

そんな考えに繋げてくれました。

 

心明るく、次の一年を過ごしたいとそう思ったのでした。

グルーヴを刻んで行く

膝をとんとん叩きながら、その拍子に合わせて一定のメロディを口ずさみます…。

 

「とんとん」はリズムで、ドラムに当たる部分。

そして、ここではメロディは「ベースライン」。 

 

重低音の楽器である、ベースの音の流れを、ドラムの音に合わせて口ずさんで行きます。

 

最初は、ドラムの音を刻む膝を叩く手も、たどたどしいのですが、

 

段々、そのドラムを叩く手が上達していきます。

 

ドラムが上達していく、と言っても、ドラムを叩く音が複雑になるのは置いておいて…、

 

身体の中で鳴っているリズムが、どんどん自動再生されていきます。

 

身体の感覚的な一面…自然な躍動で、ドラムのリズムを刻める様になって行きます。

 

それに合わせたベースの音も、段々リズムと同化していきます。

 

…実は、ベースという楽器もまた、リズムの楽器なんです。

 

 

ドラムを叩く音は、「拍」と言いますが、

心臓の脈拍と同様、「パルス」と訳されます。

 

心臓の鼓動が生命の躍動を刻むのを感じる時に、心臓が無意識に動き続けているのを感じませんか?

是非、心臓に手を当てて感じてみてください。。。

 

ハートの持つ何とも言えない感覚が、心臓の脈拍を刻む音と一緒になって、内側から手に伝わる響きとなって伝わってきます。

 

そんな感じで、グルーヴの練習の方も、段々、リズムと身体が一体化していくのを、

練習を重ねていく内に実感していました。

 

…実は私、リズムには疎い音楽プレイヤーです。

 

歌とメロディは奏でていても、リズムはちぐはぐだし、何より、想像しようとすると凄く無理をしなければならなくなってしまいます。

 

そういった理由があって、今から!リズムの勉強をしています。

 

ちなみにこういった、抽象度の高い、生命の躍動とも言うべき、心と身体が踊る様なリズムの感覚を一言で、

 

「groove(グルーヴ)」と言います。

 

まるで、小手先の技術だけでは音楽が成り立たない!と言われているかの様ですが、

このリズムの根幹がなし得て、初めて、人の心に伝わる演奏が出来るんですね。

 

よく

「泣く子もグルーヴする」

などと言われるミュージシャンがいたりもしましたが、

 

心と身体がグルーヴしていて、その根幹から発せられる音楽は、

聞く人さえもグルーヴさせてしまいます。

 

その演奏家と聴衆の間をつなぐそのグルーヴの感覚が、万人共通のものだからこそ、聴覚や触覚を通じて私達の中にとけ込んでくるんだと思います。

 

内面の輝きを増せば、周りに伝わって行くのは、

「本当はこういう姿が理想」

という理想の状態、何だかいいな、という状態が、

 

「全ての人に共通だ!」

 

という事実を伝えているのと同じ事が音楽でも起こっているのはとても不思議で、神秘的だと思います。

 

自由な表現の楽しさに心が生き返りました。

今日は早朝からの仕事を終え帰宅。

そして、定禅寺通の並木道の見える、「東京エレクトロンホール」のリハーサル室へ。

…私が出演する為の稽古とかではないんですが(だとしたなら、快挙!ですが)

その一室を、スペースとして借りて行うワークショップに参加してきました。

 

バイタルダンスというフリーダンスのワークショップにご縁あって。

 

今日の私はというと、少し余計な物を削ぎ落とした様な気分です。

ここで、何かを解放したなら、更にいいバイオリズムに乗れそうな気がする!

…と思い、参加しました。

いざ参加してみると、それは未知の体験でした。

 

普段、家で踊るときは、なるべく激しめの曲をかけて、狂った様に踊る…というのは、私の様なタイプの人間は、激しめの運動をすると良い、と何かで読んでから続けているのですが、

 

今回のフリーダンスは、とても優しい印象でした。

かける曲も、こだわった、癒しのエッセンスのあるものや、楽しげな印象の曲をチョイスしているようです。

普段家で踊っている時には出来ない様な微細な広がり方で、身体から動きが展開して行くのを感じる瞬間もありました。

 

「リズムを聴くというより、身体でエネルギーを感じながら、それに共鳴した心と身体の躍動を、最初は緊張したり、これが正しいというやり方にこだわるかもしれませんが、自由に表現してみてください。後はちょっといした指示を出します。」

 

その言葉どおり、最初はいつもの癖で「こうやったら良く見えるかな」という思考が止まりませんでした。

 

しかし、今お世話になっている黒澤全先生から最初に伝えられていた「感情や思考を観察する」という考え方や、ヴィパッサナー瞑想や、マインドフルネスを使う事を少し鍛えて、人生に加味していたところなので

「それはそれ、有っていいけど、飲み込まれない」

というスタンスをキープして、段々と踊りの表現が自由になっていきました。

 

このワークショップの一連の流れの中には、何かたゆまない素晴らしい叡智や智慧が存在しているのだろう。と、勘付いていましたが、その「知性」の存在にもとても惹かれるものがあります。

 

最後には涙涙で終わるワークショップ。とても有意義な時間が過ごせました。

 

エネルギーを蓄えた感があったので、帰りの車の中で曲を考えました。

 

「今の時点での自分に出来る、誰かの心を照らす様な活動とは?」

と考えながら、自分の色合いを使って、光を外に伸ばす様なイメージをして考えました。

 

以下、降りて来た歌詞です。

 

「そよ風に聞き耳を立てて」

 

進んでも 進んでも

先の見えない夜がある

星屑の一つ一つは

帯の様に光を垂らし込むけど

その一条の光を求める心こそが

自分と世界を照らす「光」なのかもしれない

 

壊れそうなハートを抱きながら

風の波が次々と襲って来る

ハートは下に落ちて

粉々になってしまいそうになるけど

その風は、本当は

そよ風の様に

優しく、柔らかく私たちを包んでいるのかもしれない

今ならそう感じる事が出来る自分がいる

 

あなたにとって、「真実の光」とは何ですか?

私にも、あなたの心の中に渦巻く、悦びと、悲しみと、怒りのストーリーを

そっとそよ風の様に伝えて欲しい

私の心の器の大きさでは

その全てを受け止めきる事は出来ないかも知れないけど

そよ風のメロディに聞き耳を立てる様に

あなたの心に耳を傾ける事ぐらいは出来るかもしれないから

 

 

 

…以上ですが、肝心の降りて来たメロディを記録しませんでした。

 

教訓:やろうと思った時にすぐに行わないと、タイミング・チャンスを逃し、後悔も残す事になる。

 

 

…ところで、今回のワークショップの中で感じた事の中で、後から熟考していると分かる事がありました。

 

それは…

「自分を満たす事が出来るから、周りに思いやりを分ける事が出来る」

という事でした。

 

過去、傷ついた時に生まれた感情のエネルギーを癒し、元の状態に戻るという事は、エネルギーで心を満たす悦びの体験。その光の泉に満たされた心からは、こんこんと光が湧き出て来る。そうやって初めて、周りに光を放つ事が出来るんですね。

 

今日はとても良い一日でした。

また明日も素晴らしい日であります様に!

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

 

 

 

 

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気づきを前に活かす発想

今日の事なのですが、朝仕事から帰って来て一番に、未来日記を書きました。

 

未来日記というのは、その日のうちにする事を朝の段階で書いておいたり、夜寝る前に朝やる事を書いたり、、、そして、その決めごとを忠実に守って行くという習慣です。

 

私は今朝、

「水を味わって飲む」

と言う約束をしましたので、その通り、水を味わって飲んでみる事にしました。

 

…但し、実は口の中の粘りが気になっていて、特に解決法も探らずにいた数年前の事。口の清涼感を求めて、舌の中心を歯ブラシで磨くという荒療治をしていた事があります。

それ以来、舌の中心で強い味覚を感じる事が少なくなってしまっていたのです。

果たして、「水の味」を味わう事が出来るだろうか…?

一種の挑戦でしたが、やってみて色々と気付いた事がありました。

 

水一つとっても、こんなに気づきがあります。

気づきを産むという事は、外から自分を見つめる為の旅としても認められる作業ですし、

それを下記の様に見つめる事は、その一つ一つが、「先に進む為の材料」として採用出来る事として有用な情報になり、それを見つける作業でもあります。

 

 

気づきをうまく活かすと、人ととの関係にも洞察が生まれます。

自分との関係にも洞察が生まれます。

深い所で理解出来ると行動が代わり、行動が変わると習慣が変わります。

 

 

一つのルートに固執しないと、違うルートが見えてくる

 

舌の中心では案の定、味を強く感じませんでした。

しかし、舌の側面や、中心を補った全体で、強く味を感じました。

 

例えば、車のナビが例に挙げられますが、あるルートを外れても、必ず違うルートが導きだされます。

ちょっと、うざったい時などは、元のルートに戻る為の道筋が表示され、アナウンスされたりもしますね。

「この道しかない!」と決め込んでいても、実は他の新しいルートが有った事を知って、ほくほく顔になったりする事もあるかもしれません。

 

ある目標に向かう時、自分のやり方や、決め込んだ方法にとらわれないで、オープンでいると、まるっきり違う所から答えがやってくる事もあるんだな。

…などと深い洞察が生まれました。

 

また、「思い込みは、全体の補完性や調和を乱す事になる」という気づきも。

 

心をオープンにして、味を味わう事を感じようとしないで、

「私は味覚が薄いから」

と思い込んでいたら、味を感じても気付かなかったかもしれません。

 

これは、「自分は◯◯だから」「あいつは◯◯だから」「日本は、世界は、宇宙は、◯◯だから」と

自分の体験を決め込んでいると、外側からの何らかのメッセージや助力を見失う事になる、という事も導きだす事が出来るという事が言えそうだ、と思いました。

 

先入観で水を味わっていました。

冬の朝、冷たい水道水を飲むと、少し和らいだ身体の中心に冷たさが走ったり、

知覚過敏だったりすると、歯に染みたりして

「ひゃーーーーーー!」

という事になったりします。

 

今日も仙台は案の定寒い気候でしたが、

私はいわゆる「崇敬する神社」が近くにあって、外にある美味しい井戸水を一週間に一回ぐらいタンクで汲んで帰ります。

台所に置いてあるタンクの水は大変冷たくなっていました。

 

水の甘さを感じる時に、この冷たさが重要な気がするのですが、

この「甘い」という感覚、ジュースとかとは種類が違うな、と勘付いたのでした。

 

「砂糖」という概念が、知識としてあると、体験に結びついてそれなりの体験の感覚が生まれるのだ。と気付いたのです。

 

水が甘い、だともっと生物的な物を感じます(私は)。

有機的な感じ、、、とでも言うべきでしょうか。

 

体験に対し、先入観という思い込みが、色をつけているのだと気付いたのですが、私の場合、「水」というものに対し、そして「砂糖」というものに対し、なにがしかの色合いをつけている事になるな、と思ったのでした。

 

「思い込み」を変えたなら、どうなるかな?と思いましたが、試しませんでした。

 

皆さんも、何かを味わう時に、これは「光だ」とか「闇だ」とか色々色づけをした上で、感じてみると、自分なりの気づきがあるかもしれません。

 

そこに無理が生じたり、感謝を感じられたり。

自分の傾向や、世界の光の側面にフォーカス出来るなど、色々な良質な気づきが生まれます。

 

「気づき」とは「前に進む」為のマイルストーンだと思いました

私はどうも、何かを準備している時や、

自分のスペースに色々なものを揃えて便利空間にして時間を過ごすのがとてもリラックスする時だったりするのですが、

行動する時に準備がとても必要な人にはとても良い話になるかもしれません。

 

「水を飲む」一つとっても、こんなに気づきを発見出来る可能性がある。という事は、日常の体験全てが、「無明からの脱出」に繋がると言えます。

それはつまり修行です。

 

そして、「修行」って何なの?と考えた時、

「悟りに向かう為の積み上げ」

という認識を選択するとしたなら、

悟りに向かう為の準備を着々と進めている時。とも取れます。

それは、様々な「気づきというきらめき」の光のつぶつぶを沢山ストックするという認識の選択も出来ます。

(勿論、過ぎ去る道程として見るならば、未来志向の素晴らしい人です。)

死後、連れて行ける資産は、「体験」だけですよね。

 

こうやって、時間の蓄積を素晴らしいもので積み上げて行くとなる時、

ある種の人は、その場面場面の写真を自分の中に集めている感覚を得ます。

 

私はそれがとても心地よいのですが、それは自分の空間にいる、「今ここ」をとても快適なものにしてくれます。

 

そこに居座るだけでなく、それが自らの成長に繋がる事だとしたなら…一石二鳥でとてもいい結果を招き導く事が出来そうです。

 

「今ここ」にいる事を実感出来る為の、1️⃣方法にもなりますし、2️⃣道筋としても採用出来る場合がありそうです。

 

「飲む」を考察

「飲む」を「呑む」と書く事も出来ます。

 

よく「竜脈」と言いますが、氣の流れに従って地下水は道筋を作り、そのスポットが地表に湧き水として出る所…という説を聞いた事があります。

 

パワースポットというと日本では神社でしょうか。

神社では水が湧き出ている所が沢山あります。

また、アメリカでも聖地として有名なマウント・シャスタでは水が湧き出ていて、日本でも売り出している「クリスタルガイザー」として有名です。

 

水をそのように捉えた時、「パワーに反応しやすい物体」とも捉えられます。

水には「氣」が転写されている可能性がありますね。

 

「呑気」というのは、「気を呑む」から、気滞が生じず朗らかな人、という説も聞いた事があります。

 

水を飲むと、特に朝、空っぽになった身体には染み渡って行きます。

「はーーーーっ」と、ため息が出る事もあるかもしれません。

 

水を飲むという事が、気をのんでいる、水を介したエネルギーを頂いている、と思うと、自然と感謝の念が現れるのは、

「氣」を受け取って、身体が反応しているからだ、と考えるのも面白いなと気付いたりしました。

 

 

 

…今回は、水を介した気づきについて、私の体験をひも解いてみました。

 

今、どんな状態でも、「感謝を感じる心」が有れば、全てが光で照らされる様な気がしませんか?

 

勿論、自分を酷く攻撃する環境に身を置いて、我慢して何も感じなくする事ではありません。

 

自分を大切に、その上で、誰かの事も大切にする優しさがあると、自然と身体も心も柔らかく、暖かく、軽くなって行く様です。

 

気づきは、前に進む為に与えられるメッセージです。

自分と他人がwin-winになる様な生き方をする為に、そして、その先にある本当に心が満ちている瞬間の為に。

 

日常の体験の中からでも、それは導きだせます。何かを感じてみる事も、今回の私の様に行ってみると、もしかしたら、いろんな気づきがあるかもしれません!

 

それを工夫していくというのも、一つ日常の生活に彩りを与えてくれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ポジティブシンキングとは〜マインドフルネスの世界から読み解く

世の中は殺伐としている。そんな感じを感じる人もいるのではないでしょうか?

そんな世の中なので、自分自身の心も、いつの間にか殺伐としているという実感が。

イライラして子供に当たってしまう。

人のミスが許せない。

恋人を束縛してしまう。それは間違っているのは分かっているんだけど…。

人を馬鹿にする癖があるけど、どうしても変えられない。

心が粗いエネルギーに満ちていると、どうしても目の前の人を変えたくなったり、誰かに依存してまで心の荒波を鎮めたくなったりしますよね。

 

では、なぜ心の荒波が、短いスパンで現れて来るのでしょうか?

それを解決するのにはどうしたらいいのか?

考えてみたくありませんか?

 

そんな発想に役立つエッセンスと、コツを今回はお伝えしようと思います。

 

誰の批判が一番怖い?

 

渡る世間は鬼ばかりと言いますよね。

世の中、いろんな人がいます。

攻撃的な人、嫌みを遠回しに言う人、言葉で伝えずに態度でこちらを変えようとしてくる人…

など、自分の領域にずかずかと入り込まれる体験はよくある事と思います。

 

しかし、もしマインドフルネスの発想を取り込むならば、その経験を自分に批判的に解釈し、捉え、思考しているのも、他ならぬ自分なのです。

 

例えば、上司に大目玉を食らう事があるかもしれません。

その人の性向により、その場面での、上司自体、起こられている感覚、自分像。など、人それぞれ個性が出てくるはずですが、

「上司に大目玉」という現象は、実は独立して起きています。

それを通りがかりの人が見たら、当事者としての判断はせず、ほぼ感情に波は立たないはずです(可哀想とか、こんな怒り方をして!という判断は生まれるかもしれませんが、被害者感情を深く感じるという事は無い、という意味で)。

 

「当事者だからこそ、当事者として真剣に考えてしまう」

これがもし

「部外者だからこそ、部外者として冷静に見る事が出来る」

にすり替わったなら。と考えてみましょう。

 

判断という色眼鏡は、その人それぞれ違います。なぜなら、見ている視野、空間の配置、バックグラウンドの人間関係、心理的な立ち位置〜生まれ持った気質も含めて…と、同じ背景を持つ人は一人として他にはいないからです。

 

そうすると、「判断」というものの絶対値はこの世には存在しない…という事がお分かりでしょうか?

 

という事は、もしも色眼鏡を変えよう、という判断と意思さえあれば、

「上司に大目玉」

という目の前の事実も、違う判断で見られます。

(勿論、感情は強いエネルギーなので、最初のうちは飲み込まれる事もあると思います)

 

その発想を持って、この目の前の事と、それを捉えている自分の判断・解釈を見つめてみましょう。

 

もし、上司に逆恨みをするならば、上司を批判する判断をしています。

その時、何とも苦しい気持ちになるでしょう。

こんな風に扱われる自分。上司に反発出来ない自分。憎しみを持っているという自分、上司の言う通りならばそんな指摘を受けてしまう自分…

連動して、上司だけでなく、自分を被害者にしようと思い始めると、プライドはそれを許しません。このままでは駄目だ!という思いは、今の自分が駄目だ!「駄目だ」という言葉は対象を否定している言葉なので、ここでは自分への判断が「自己批判」になっています

 

…実は、一番自分の事を、そしてダイレクトにハートに向かって斬りつけているのは他ならぬ自分自身なのです。

 

想像してみましょう。もしも、自分を強く批判しない自分だったならば、目の前の苦しみはどれほど半減するでしょうか?

 

さきほど、感情に飲み込まれるという言葉を使いましたが、普段から私たちは「自己批判」という思考の波にも飲み込まれているのです。

 

それは正に罰ゲーム。

ゲームと書くのには理由があって、深い所ではそれを楽しんでいる自分がいる事を、冷静に分析したなら理解出来ると思います。

 

そして、自分の判断をやめられるのは、他の誰でもない。自分が決める事なのです。

それは、罰ゲームをやめられるのは自分なのだという事でもあります。

 

自分が決めてしまえば、もっと楽になれる。という事でもあります。

 

マインドフルネスの応用

 

最近、マインドフルネスが多く取りざたされています。

それは、上記の様な批判思考をやめられるという自由を皆さんが求めているからではないでしょうか?そして、そういう意味でも、多くの人の意識が高い状態に吐いて来ているという意味でもあると思います。

 

もし興味を持たれたなら、マインドフルネスに関しては、日本内外で、様々な提言がなされていますので、もし実体験したい場合はAmazonなどで書籍を検索したり、近隣でそのような講座が開かれていないか、調べてみる事をお薦めします。

 

マインドフルネスとは「気配りをしている状態」という意味です。

周りの人への気配り…という意味も勿論含みますが、ここでは、思考、感情、体験の全てをつぶさに意識する…意識上に上げる…という意味が一番正しい解釈になります。

 

前項の所と合流させるならば、

「自分を批判している自分に気がつく」という事が言えます。

 

判断を加えないという大きな目標を持っているやり方なので、

「批判している自分」すら「批判しない」事になります。

 

体験してみると分かりますが、これが一筋縄ではいきません。

それをどうにかしよう、と努力するならばそれも「現状への批判になり」

それはいけないと言われていたな、と思った時点で更に「批判の一部」に入り込んでしまいます。

どこかで見限りをつける必要が出来てきますが、

批判しないというのは「飲み込まれないで判断しないで」

なので、「ただ見ている自分がいる」

でとどめる事で段々静まっていきます。

 

まとめるならば、

マインドフルネスとは「批判している自分に気付いて、受動的にやめていく」

という姿勢です。

 

受動的に…と書きましたが、これは流れに身を任せてしまうという「サレンダー」の感覚に近いです。

 

創造的エネルギーへのアクセス〜うつからの脱却

 

自己批判している時は、自分の未来にも悲観している時です。

なぜならば、現在の駄目な自分という判断は、ひいては将来にも同じ事が連鎖する、という判断でもあるからです。

 

その時人は将来を楽観視出来ないので…つまり、将来を創造する、という大きなモチベーション=エネルギーの源泉が断たれている事を意味します。

 

もしも、自分の人生が自分のコントロール下に置かれていれば、きっともっとやる気と勇気が湧いてくる事でしょう。

 

創造的エネルギーとは、誰の心の中にもあります。

どんなに切羽詰まっていても、乗り越えられるという確信、つまり、将来を創って行ける、という気概一つ持てば乗り越える為の行動が出来ます。

 

建設的な対応が出来るという事ですが、それが正に創造的エネルギーです。

 

どんなに落ち込んでいたとしても、このエネルギーにアクセス出来れば寸座に自然に居住まいを正せます。

 

その迂回路として用意されているのが、「批判を続ける事で自分が自分のやる気を落とさない」という発想なのです。

 

1️⃣マインドフルネスを習慣化する(時間はかかるが、その後の人生の荒波に建設的に対応出来る能力が備わる)

2️⃣自分のお気に入りの場所を想像してみる(神社、海、山、森など)または、自分の住まいの環境を整えてしまう(大好きだと思えるインテリアで包む、または、出来る範囲でいいので、拭き掃除をしてみる)

3️⃣手軽に出来る事で、心を満たす事の出来る行動をしてみる

4️⃣サウナ、熱めのお風呂に入る

 

など、気分転換という発想だけではなく、自分を批判している黒いオーラから一旦置いておいて、抜け出してみる、という発想で出来る事から始める事が出来ます。

 

これから、人生を創って行くんだ!と決めたなら、それは実現します。

継続してその指針を持ち続ける事が大事ですが、

ポジティブシンキングな人は、どんな事があっても「それでも人生に向き合う」と姿勢の裏に、創造的エネルギーとのアクセスという資質があるのかもしれないと私は思っています。

 

濃密な時間を過ごして人生にポジティブになる

 

私が初めてマインドフルネスの本を購入したのが、

ジョン・カバットジン博士の本でした。

 

その本の中に、サイケデリックな装丁の中でこの様な記述がありました。

「初めて物事を見る様に、全ての物事を見つめてみる」

 

これは、とても強力な方法です。

 

マンネリ化という言葉にどんな雰囲気を持つでしょうか?

灰色の景色、だらけた中だるみの時間、うんざりする様な人間関係…etc

 

それを、思考から変えて行くという発想です。

 

「いつも通り」というのも判断です。

判断を切り離せたなら、そこには純粋な生身の存在があるだけです。

過去が◯◯だから、明日も◯◯

というのは、実は嘘だと言う事が、震災でも明らかになったのを目の当たりにした人の沢山います。

 

次の瞬間には、全く違った存在として、そこに物事がある。

極論そのように言っても、実は物理学的にもその事実が「真実」なのです。

 

新しい物ばかり、という視点で物事を見た時、どうしても感動が生まれてしまう様です。

 

それは「全く違った可能性が、目の前のものに宿っている」というもの。

 

マンネリ化という黒い可能性から比較したなら、それはとても神々しい物として、コントラストしてしまいます。

 

つまり、心の深い所からの、ポジティブシンキングがそこにはあります。

 

時間の流れが速いというのもそこに関連している様な気がします。

 

「足るを知る」と言いますが、当たり前にある当たり前の事を、当たり前ではないと思考するというのもこの一つでしょう。

ちなみに、「当たり前」も判断です。

 

判断の先には、「当たり前」が無い、つまり「奇跡という程ありがたい(有るという事がなかなか難しい、という意味での)」という視点が生まれるという事を考えると、人間というのはその中心に素晴らしい輝きを持っている、という事を感じます。

 

有り難い=感謝

感謝=「謝るを感じる」

 

そのように思った時、

「謙虚に生きる」事の素晴らしさが、本当の幸せと一緒くたになっているという事実を見逃せない様な気がします。

 

そして、「謙虚」とは「エゴに振り回されていない。という意味でもあるかもしれません。

 

総じて、こういった瞑想のもたらす効果というのは、心の深層にある輝きに蓋をしている黒いものを諦めて手放し、純粋な状態を導く「浄化」の作用により生まれるエネルギーの純化なのだと思います。

 

 

※昨年末、近くのダムに赴きました。

雪が積もっている中、ダムの展望台に歩を進めてみると、暮れの夕方という事もあり、人は全然いませんでした。

鳥が鳴く声以外は全くの無音。

吹雪の風が耳元を通り抜けて行く音だけが耳の奥に響きます。

すると、ちょろちょろという音が少しだけ聞こえてきました。

展望台の下には、川が流れていました。

何故か、雪景色の中にあるその流れが、奇跡の様に感じ、聞き入ってしまいました。

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