自由に思いを表現する方法

こんばんは。

 

突然ですが、言葉にして出せない思いがあったり、普段から自分を出す事を好まない人がいるように思います。

 

そのままでも、自分は自分!

と思えるのであれば、それが一番いいのですが、

もしもそれが劣等感であったり、思いが喉に詰まっている様で苦しい、という時にはどんな発想をして、思いを外に表現したらいいのか、分からないという人もいるのではないでしょうか?

 

今回の記事では、そういう状態にアプローチする様々な方法を考察してみたいと思います。

 

1️⃣思いを紙に書く

 

言葉にして口から出すのは得意ではなくても、文字に書き出すのは得意、という人は、そういう特質を持っている人、という事もできます。

 

そこはそういうものなんだ、と認めた上で、自分のやりやすい方法を選ぶ、という考え方です。

 

もしも、あまりにアグレッシブでネガティブな考えが筆を進めた場合は、紙を燃やすか、溶ける紙に書いて、トイレに流すなどするといいでしょう。

 

また、不安な将来の事など、誰にも話せないで自分一人で抱えている時は、

ノートなどにそれらを一旦肩から降ろす様にして、思いつく限り書き連ねてみます。

それを時間を少し空けて見つめてみます。

自分の事、というより、そういう事で悩んでいる人、という風に客観的に見つめてみます。

そんな自分という目の前の人に、冷静にアドバイスするとしたら、どんないい発想が生まれるでしょうか?

浮かんで来たら、書き連ねた不安の課題の横にそれぞれ書き込んで行きます。

 

もし実行可能な事が有ったら、小さな事でもいいので実行に移してみましょう。

 

喉から下に溜め込んだものを、口からは出さなくても、手を通して表現して外に出した上で、それらを消してしまう、

という発想と、

溜め込んだものを人には話して表現出来なくても、自分に自由に表現して、受け止めてあげる、という発想を使った方法でした。

 

2️⃣たまに大声を出してみる

 

車の中で大声で歌うというのもいいでしょうし、

 

もし時間があるならば、誰もいない里山や、海などに向かって大声で思いの丈を叫んでみるというのもいいでしょう。

 

この時、喉を使って歌うというより、お腹から流れ出る空気圧に、強力に思いを乗せます。圧力自体が気持ちの力、という様に感じてみます。

声を出し切れないほど、息を外に出すと、お腹の下部がへこんで、力が集中しますので、その感覚に気持ちの感覚を重ねて更に声と息を絞り出しましょう。

 

この時、自分を解放してあげよう、という気持ちと、

抱え込んで迷惑をかける人が少なくなるぞ!という気持ちを原動力にします。

 

声として息に乗って外に出た気持ちは、空気の中に消えて、二度と戻ってくる事はありません。

 

海や、山などの景色ならば、力強くその景色が受け止めてくれた、と感じてみてもいいでしょう。

 

3️⃣自分を見つめて、分かった事を少しでも行動に移してみる

 

表現をしない自分が嫌だとしたら、その時、嫌だと思っている自分はどんな顔をして見つめているでしょう?嫌だと思われている自分は、どんなイメージでしょう?

 

表現をしない、というより、したくない、しない事を好んでいる、という事も見えてくるかもしれませんし、

 

嫌だなあと感じていた自分の目が、他の誰かのものであるかもしれません。

 

そこには必ず理由があるのですが、それは考えないで、浮かんで来た事だけを大切にして、

何かひらめきを感じるくらいの事があったなら、簡潔な言葉で書き残し、

頭で考えて対応策を練ります。

そして更に簡潔な言葉で、そしてスモールステップでいいので、日々実践できそうな小さな目標として、書き残し、気付いたら見つめてみる、という習慣をつくります。

 

もしかしたら、少し表現の仕方が変わるかもしれませんし、表現出来ないとしても、それが自分の生き方なのかな、とありのままの自分でいられるかもしれません。

 

4️⃣特定の友達には本音を伝える様にする

 

もしかしたら、素直な気持ちを伝えて欲しい、もしくは、そうしてくれたなら嬉しい、とまで思ってくれている人が周りにいるかもしれません。

 

ありのままで表現している自分を思い浮かべて、それが受け止めてもらえるだけでなく、喜んでもらえるとしたら…?

そんな嬉しい気持ちを、自分の中に常に宿しておきます。

人は誰かに貢献出来る時に、本当の喜びを感じる事が出来ます。

自分を守ったり、隠し通せたりする事で、自分へ意識が行くだけだと、なんだか身体も詰まっているような感じがしますよね。

ここは、解放して、更に誰かの幸せを願って、自分を出してみるというイメージを持つ事で、本来の自分に戻る事が出来る可能性は十分にあります。

 

 

どうでしたでしょうか?

 

今回は、「自由な表現」というものに障壁があると思う人に是非役立てて欲しい方法や発想をお伝えしました。

 

何かご参考になったならば嬉しく思います。

 

 

今日一日を全力で生きる

こんばんは。

 

今日一日、仕事に、家事に、人間関係に…

とても頑張っていた事と思います。

まだ、終わっていないよ。という人も沢山いますよね。

 

実は、目の前の事をこなしているだけなのに、人生の壮大なストーリーはカチカチと秒針を進めているのです。

 

短期目標を据えていたり、その上で、長期目標を据えていたり、

何か目的があるから生きていられる。そんな前向きな人もいたり、

 

その目的が、知らず知らず間に、過去の嫌な出来事の清算をする事に当てられている人がいたり、

 

どちらも、人生の目的を果たすという意味で重要な事ですね。

 

そして、その目的の向こう側にあるのは?

 

誰にでも平等にやってくる最期の時です。

 

その時に向かって、何の意味があるのか、何の理由があるのか、それは誰にも分からないけど、ただ確かにここに生命(いのち)が息づいている。

 

遠い先の事、遠い昔の事を見ている。

 

でも私たちは、この瞬間をどう生きるか決める事しか出来ないんですね。

 

今日一日。振り返ってすっきりするほど、自分の為すべき事を出来た!と思えたなら、きっと眠りも深くて質の良いものになるでしょう。

今日という過ぎた時間に未練がなくなるので、きっと明日に向かって、深い安らぎをもって望めるからですよね。

 

そして、それが繋がって行けば、毎日、活力をもって生きられる。

それは、最期の時に向かって、刻一刻と流れる時間の最小単位が、喜びに満ちている事を意味しています。

 

もう明日にも人生が終わる、取り返しがつかない、そんな時を思い浮かべた時、

 

きっと、なんでもっと喜んでおかなかったんだろう、

なんで、もっと出来る事をしなかったんだろう。

 

そんな思いを連想する人もいるかもしれませんね。

 

今日一日、誰かの役に立つ事が精一杯出来ただろうか?

その為にも、自分が本当に喜ぶ選択を、脇目も振らず出来ただろうか?

 

身体に割り当てられるエネルギーも、一日単位で見れば、限られていますが、

その分、余るものでもあります。

全部使い果たして、何の未練もなく、今日という一日を終える。

そして、明日という朝がまた生まれ変わってやってくる。

 

一日、一日、人は死に、また朝になって生まれてきます。

 

そんな壮大な生命の神秘の中で、今日一日を全力で過ごせたなら、それはとても清々しい事ですね。

 

明日の為に、そして、昨日を活かして、

 

今日の自分の為に、そして、明日の自分の為に、昨日の自分の為に、

 

そして、それらを活かしてくれた全ての存在、命、人々の為に

 

何が出来るだろうか?

 

一瞬一瞬が本番だと知っていたなら、もっと、意味のある事に沢山エネルギーを注げるはず。

 

そんな前向きな一日が、明日の一日に成ります様に。

 

そんな思いを皆様に送って、今日のブログは終わりにしたいと思います。

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

宝石の様な自分の可能性にフォーカスする

こんばんは。

 

このところ私が住んでいるところでは曇りの天気が続いています。

冷えている印象が有ったのですが、今日は一転して蒸し暑い気候に様変わりしました。今は夕立が降っています。

 

雨も必要なので、嬉しいと思う人、仕事の途中などで突然降られたりしたら苛立たしく感じる人、様々だと思いますが、皆さんはいかがお過ごしですか?

 

雨も「浄化の雨」などと表現される様に、色々なものを流し去ってくれるもの、と捉えられますので、この機に要らなくなった気持ちなどを一緒に洗い流してもらえたら、また明日からはつらつと頑張れそうですよね。

 

 

…さて、要らなくなったもの、と表現しましたが、皆さんにとって、よくよく考えてみたり、内側に問いかけてみると、

 

この考え方、感じ方・考え方って、何か「うまく物事を進める事」を邪魔をしてない?

 

と、感じる様な事って、内面で起こり続けていたいたりしませんか?

 

それは、標題に挙げた「宝石のような」自分の内側の純粋な一面を、今の段階ではひたすら曇り続けさせるもの、と捉える事もできますよね。

 

では、「宝石のような」ものって、「私」自身にとっては、どのようなことなのだろう?と考えた事はありませんか?

もしかしたら、ただ自分の内面には「太陽の様に輝き続ける美しいもの」があるのだ、と思い込もうとしていたり、それが何なのかはっきりとは考えなくても、感覚的につかもうとしている人もいるかもしれません。

 

感覚で分かるならば、それが一番早いのですが、今回は少し言葉を使ってまとめてみて、そこから自分の内面の純粋性をはかってみるという方法を提案をしてみたいと思います。

 

1️⃣宝石の様な自分の内面をイメージする

 

それはどこで輝いているだろうか?どんな色の宝石?どのくらいの透明度?

少し、イメージを具体化します。

もしかしたら、ものすごい輝きがあるかもしれないし、静かに地中で光るダイヤモンドのきらめきの様なものかもしれないし、何が正しいという事はありません。

自分の中にこんな可能性があったんだ!と感じられたらしめたものです。

 

2️⃣その宝石を曇らせているものは?

 

曇らせている、と書くと、手垢の様な、「汚いもの」と心に映るかもしれませんが、ここではジャッジはしない様にします。

身体の一部分の不快感、とか、なんだか分からないけどモヤモヤする感覚、誰かへの攻撃心、自分の見た目のコンプレックス。

何でも良いです。感じるままに挙げて行きます。

 

それをジャッジせず、優しくそっと抱きしめてあげます。

簡単にはその陰は消えないかもしれません。

でも、ただ抱きしめている事が重要なのだ、と落ち着いた気持ちで抱きしめていると、落ち着いた気持ちは、その対象にも伝わり、自分とその対象は一緒に安心していきます。

永遠に消す事は出来ないかも知れない。という思いで、気長に「待つ」事も大切かもしれません。

 

3️⃣宝石の輝きを自分の特性に重ね合わせてみる

 

もしかしたら控えめな性質かもしれません。

もしかしたら何でもフランクに伝えられる性質かもしれません。

もしかしたら誰にでも心から思いやりを感じられる優しさかもしれません。

 

それは二面性を持っていて、普段は汚いものとして見ている事もあるかもしれないですが、ここは、「そんな汚いものかもしれないけど、こんないい面もあるよね」

とどちらの一面も肯定してあげましょう。

もしかしたら、意外な一面がクローズアップされるかもしれませんが、否定的な思い込みに囚われないで、ひたすら「素晴らしい!」と誉め称えてあげましょう。

 

4️⃣その澄んだ輝きと、静かに佇む感じ

 

荒々しく頑張っている白熱灯の様な輝きもあれば、

どんより沈んだ落ち込んだ静けさがどんどん地下に潜って行く様な静けさもあります。

 

しかし、ここでは、自分が最も「こんな自分なら、きっと素敵だな!」と思う自分をイメージし、そんな自分なら、どの様に目の間の事に働きかけるだろうか?

とイメージを総動員して、考えて・感じてみます。

 

…どうでしょうか?どんな風に、仕事、家庭、恋愛、はたまたトラブルが起こった時に対応しているでしょうか?

 

静かな、青い炎の様な輝きがそこにはあるかもしれません。

 

そんな理想の姿を、いつでも思い出しましょう。

 

思い出せない時は、タイミングなので良し!としましょう。

思い出せたら、タイミングでこんないい感じに出来た!と自分を褒めてあげます。

 

 

こうやって、自分の内側の輝きを確かにくっきりとさせると、輝き自身もくっきりとしてくる様です。

 

そして、うまく行ったらおかげさま。

うまく行かなくても、そんなときも有るよね。

 

と、自分を解放してあげる事で、どんどん輝く宝石にかかった膜が広げられて、内側の宝石が顔を出して行きますよ。

 

 

どうでしたでしょうか?何か発見は有りましたか?

 

 

ここで、その宝石の輝きの光線が照らし出す先を見てみます。

 

どうして、宝石を見つけたいのか?

その輝きは誰の目に映っているものなのか?

 

目をつむって、考えるのをやめて、内側の暗闇の中に問いかけてみます。

 

すると、上の方に押し上がってくるものを感じるでしょう。

 

それを言葉にしたり、イメージにうまくしたり、頭で考えないでいるととどんどん形になっていきますので、それを見つめていると、とても温かいものが生まれてきます。

 

冷たくなったハートを温かく染めるものかもしれないし、

頭をくっきりさせてくれるものかもしれない。

 

しかし、いずれにしてもそれは、

「他者への思い」

なのではないでしょうか。

 

よく言う事ですが、他者貢献が果たせた時、人は本当の喜びを感じるものだと思います。

 

人の事なんてどうだっていい…

と思っている人がいたとしても、

素直に感謝してくれる人が目の前にいたら、とても嬉しいと感じるものですよね。

 

 

きっと、あなたの胸の奥にある輝きが、待ってくれている人の心をときめかせたり、じんわり心を温めてくれるはずです。

 

その時の為に、今はそんな状況ではなかったとしても、心をクリアにして、沢山の人に喜びを運んであげられるのを待っていられたら、そしていつか喜びを届けられたら、何より自分が幸せですよね^^

 

その為に自分を犠牲にするのではなく、心から湧き出る感情に行動を乗せて行く。

 

その状態が、本当は宝石の様な純粋な状態なのかもしれない。

 

その様に思います。

 

皆さんにとって、宝石の輝きは誰を照らしたいと思っているでしょうか???

きっと、その人は、喜んでくれると、信じていれば、実現すると思います^^

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

夏の夜、お祭りの情景に思う事

こんばんは。

今回はお祭りの情景に思う事を書き綴っていきたいと思います。

 

 

 

…この間、仕事帰り近くの住宅街に車を走らせているとおみこしを担いでかけ声を掛ける小学生の子供達の集団を見かけました。

 

懐かしいな、と思って見ていました。

 

地域のお祭りで街なかをおみこしを担いで練り回った昔の思い出をふと思い出したのです。

 

夜に入りかけたぐらいの夕方の時間、街は黄昏に包まれていました。

空は、直観で日中の暑さを反映しているんだな。と、感じられるような紫とピンクの鮮やかで仄かな色合いに染まり、遠くに浮かぶ薄い雲にもその色が透けて見えます。

 

近くの公園には出店とステージが設営され、公民館ではおにぎりが沢山作られていました。

かき氷を掻く音。出店に使う発電機のどどどという音。どやどや響く老若男女の声。

町中の人々のエネルギーがそこに暑苦しく集まっている様な、そんなワクワク感と危機感。

おみこしを担ぐ身体はじっとりと、塩の膜が張った様に湿っていて、髪の毛のすそは汗で濡れて少し涼しく感じました。

Tシャツも、濡れそぼっています。風が吹くと、ぬるい空気の中で一瞬寒気がするぐらいのひんやりした感覚…。

 

情景が心に浮かんできました。

 

 

…ところで、お祭りとは、「お祀り」の事。

子供の頃からそんな思いでお祭りを見つめていました。

 

その当時、少し遠い所で開かれていた大きなお祭りは、正にその名の通り神社で催されているお祭りでした。

少しひなびた感じがして、神聖な感じはその当時は感じなかった様に覚えています。

でも、今考えてみると、当時からの疑問には確かに答えてくれていた訳です。

 

お祭りは、地域の楽しみとして開かれている様に思えたけど、では、祀っている神様は?

どこのどの神様を崇敬して行っているんだろう?

 

 

 

それから二十数年経ちました。

今では大人になって、その頃の自分と同い年ぐらいの子供は小さな子供に見えます。

大人になってもそんな、「お祭りの矛盾」見つめる目は変わらず。

 

でも、そんな疑いの心を溶かしてくれる一文と出会いました。

 

「お祭りというのは、神様に陽気なエネルギーを奉納しているんです。」

 

誰が書いていたのか、今はもう覚えていないのですが、妙に腑に落ちて覚えていました。

 

その考えを使って考えてみると、合点がいきます。

 

陽気な感じを沢山味わう事が、ひいては遠くの神様を喜ばせている。

 

神社で行われていなくても、日本人のDNAに刻まれた、八百万(やおよろず)の神々を祀る思いが、もしかしたら無意識にこの「お祭り」というイベントを各地で定期開催させているのかもしれない。

 

一心に熱いワクワク感を燃やしてお祭りをする。それも特にその感覚を純粋に残している、子供達が一生懸命大声でかけ声を掛けて、楽しくおみこしを担いで、町中を練り歩く。

町中に、そんな凄まじいエネルギーが、静かに充満してく様な感じ。

 

神様が喜ぶという事を抜きにしても、みんなが何となく楽しい。

 

その感覚は、様々な憂鬱な思いを一瞬でも忘れさせてくれる様な凄い力がある。

 

奉納したものがそのまま循環して自分達に返ってきている。そんな見方をすると、なんだか清々しい思いがしました。

 

こういう形で繋げて考えてみると面白いし、疑問がスッキリと解決した感じがしました。

 

入道雲がそびえる夏空が夕焼けの紫色に染まった景色。

様々な思いが交差するお祭りの景色。

 

何か特別な思いで見つめてみると、色々な事を感じ、気付けるかもしれません。

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

皆さんの今日の疲れが、癒されて行きます様に。

 

 

 

 

 

ご挨拶

初めまして。yoshiyukikと申します。

これから様々な記事を発信していく予定ですので、お付き合い頂けたら幸いです^^

 

私の中で起こっている事、そして起こった事が

 

ブログを経由して、読んでくださる皆様の中に何かを起こせたら嬉しい。

そんな思いをベースにしながら記事を綴って行こうと思います^^

 

これから宜しくお願い致します。