安心感の雰囲気

おはようございます。

 

昨日の夜は、一昨日と同じ場所へ、友達のDJ姿を見に行きました。

 

ミラボールが回るライブハウス内に入ると、友達がいて、仲良く話しながら開演を待ちました。

 

一曲目は懐かしの「恋の呪文はスキトキメキトキス」懐かしくて涙がちょちょぎれそうになりました。

 

その後も懐かしい曲が様々展開して…。

 

落ち着いた雰囲気の中、音楽を堪能したのでした。

 

その友達はいつも周りをエンパワメントしている人で、若いながら尊敬できる人だな、と感じていました。

 

一緒にいると安心する様なタイプの人で、不安を煽らない人だから一挙手一投足が安心感を招くのかもしれない…。と。

 

結局、どの人も大事にされたい思いがあるからこそ、その思いに応えられる人がみんな大好きなんだろうとそう考えたりしました。

 

ライブ観戦日記

おはようございます。

この記事までたどり着いて頂きありがとうございます。

 

昨日、ライブを聴きに行ってきました。

 

東京から大好きなシンガーソングライターがやって来るというので、楽しみにしていたのです。

 

会場は冷房で冷えていて、外の生温いジメッとした空気からのギャップなのか、とても快適に感じました。

 

カウンターではビールを。

 

冷えた生ビールはこんな天候の時は美味しいなーと、すぐに飲み干してしまいました。

 

「対バン形式」と呼ばれているイベントの方式がありまして、何組もの出演者を出演させて、企画を成り立たせているというやり方で、今回のライブも行われていまして、

 

最初から、ゆっくりと弾き語りの人たちの演奏を堪能させていただきました。

 

昨日は日中も用事があり、歌って欲しいと言われていたので、ギターを背負って出かけました。なので、帰り道、久々にI中央駅の中で路上ライブをしました。

 

バスが来るのは15分後…という事で、ゆっくりもしてられなかったのですが、歌ってみると…

 

見事に誰も聴いてくれませんでした笑

 

何となく、色んな事が心に迫って来て、身の置き場が無いような気持ちになったり、時には自分の持ち前の武器とも言うべき「通る大声」で歌ったり、人に聴かせようとするといろんな事を思います。

 

さて、昨日一番楽しみにしていた謡人の人の演奏はとても気持ち良さそうで、観客の人たちを取り込んでみんなを盛り上げてくれたトークもまた素晴らしく、

 

バックステージで会って話した時も、屈託の無い笑顔で、とても良くしてくれました。

 

見ていると、みんなその人の事が大好きな様で、みんな楽しそうに出演後の会話に花が咲いていました。

 

自分も含め、その日の出演者を全部見ていて、思ったのは、

 

やっぱり単純に気持ちのいい人、気持ちのいい演奏は、そのまんまでこっちまで気持ちよくなってしまう。という事でした。

 

逆もしかりなんだなあ。とそう思ったのです。

 

自分らしく居る事。楽しいという事。自分が気持ちいいという事。

 

 

そこに打算が無い人ほど、その先のもっと大切な事にアプローチ出来るんだろうな。とそう思ったのでした。

 

帰り道も生温い仙台の空気の中で、ソフトクリームの様にとろけそうになりながら帰宅しました。

千葉ケイコさん企画「心に灯りが灯るまで」

こんばんは。

 

今日は明鏡止水と言う面白くて不思議な講座を受けて、だいぶエネルギーアップしたのを感じたまま、思いつくようにCafe B.B.と言うライブバーへ行きました。

 

Facebookページを帰り道の地下鉄で見てみたら、たまたま今日が「心に灯りが灯るまで」の日だった事を知り…。

 

急いで向かって開演6分後に着きました。

 

最初の出演者は岩手→仙台→神奈川と渡り歩いたあと、再び仙台へと戻ってきてくれたと言うキーボード弾き語りの女性でした。

これから楽しみだな、と思います。何故なら沢山話したから!

覚えていてくれた先に、共演とか出来たなら幸せだろうな、と思いました。

 

その後、大阪、関東の方、そして千葉ケイコさん自身のバンド、と見ていまして、凄く幸せな気持ちになってしまいました。

 

日々の苦しみを歌う歌が有りながら、何故かその人の良さや、心の温かさが伝わってきます。

 

千葉ケイコさんはとてもいい雰囲気の方で、この人のライブはまたみたいな!と思ったのが三月十一日に行われた同企画を見た時。

 

心に灯りが灯るまで、とは、

 

震災の際に灯りを灯して過ごした日々、そして、その先にある心が救われるまでの時間の流れを思い描いた題名、と、言う事みたいです。

 

つくづく、あったかいなーと思います。

 

ミュージシャンをしている人はどこか影のある人が多いですし、それは他のすべての人も同じですよね。

 

悲しみが深いほど、温かくなれる。

 

陰極まって陽に転ず、とはよく言ったものです。

 

そして、その闇が感じられる人であるほど、その人が放つほとばしる温かさは光を増していく様な感じがしていました。

 

一言一言に、まるで聴く人のエピソードに、逆に耳を傾けるような共感の力と、それを屋台骨で支える根拠の様な体験の重みがあります。…というか、そんな気がする!笑

 

僕が歌い始めた理由はそこにあります。

 

大好きなミュージシャンのメッセージ性の部分が好きになり、自分の使命を漠然と感じました。

自分が感じてきた事はもしかしたら根拠として、表現に繋げられるかもしれない。

 

人の心を癒す様な、人間味溢れる、暑苦しい歌が歌いたい!

 

嫌われることもありましたけど、少数の人の心には受け取ってもらえました。

 

自分が満たされると言うのも正直ありました。

 

でも、今になって思うのは、自分のもっと正直な聴く人への純粋な思いが相手の気持ちの中で感じてもらえたとき、そしてそこに何か心の笑顔が生まれた時、本当にやっていてよかった、って思えていたのだと言う事。

 

聴いている人が僕の歌を聴いてから、幸せを心から感じられる様なエピソードを人生に起こす事が出来たなら、もっと喜ばしい事です。

 

千葉ケイコさんのいい雰囲気は、そんな純粋な気持ちが沢山含まれた、そんなライブ活動への思いがそこにあるからなのかもしれません。

 

他の出演者の方々も本当に素晴らしかった。

久々に瑞々しいエネルギーでお腹一杯になりました。

 

感動をありがとうございました😊

 

f:id:yoshiyukik:20170520233636j:image

身体の感覚には「喜び」しかないと言う言葉を思い出した夜

こんばんは。

 

今日は久々に弾き語りをしてきました。

 

最近、鎧を脱いだ本当の自分とはどんな姿だろうか?と思案する事があります。

 

…実生活では、自分の思い通りになるならこんな自分がいいな、と思っていた自分像が脆くも崩れつつあります。

 

まさにアイデンティティクライシスと言わんばかりですが、

 

自分の本当のすがたとは、と思案している時点でそこに答えは無さそうだと気付き始めました。

 

今日の歌会の場でも色々気づきがありました。

 

色んな人たちの歌声を聴いていると、様々な雰囲気が伝わってきます。

 

激情の中に優しさがあったり、

 

色恋沙汰にしか見えない中に何とも言えない透明な憂いがあったり…、

 

歌はやっぱりいいなーと思います。

聴くのも歌うのもいいものですね。

 

でも、そんないい感覚が、今日はどの出演者の中にも見えました。

 

と言うか、こじつけた面もありました笑

 

でも、それでも何だか大好きだなーと本音で思わざるを得ない。

 

普段は見下したり、追い越そうとしたり、正直濁った心で見る演奏も、思考が静まっていると何だか全てが愛らしく見えます。

 

ジャッジはやはりあたまの方面で起きているんだな、と実感しました。

 

同時に、例え刹那の体験でも思いがこもっていれば強い力で心と魂を揺さぶる事が、歌や楽器の演奏には可能なのだ、と気付きました。

 

今日は自分のやっていることに誇りが、本当の意味で持てました。そして、明るい展望の中で可能性を探って行こうかな、

 

そんな思いの中、重い腰を上げたような気がしたのでした。

 

f:id:yoshiyukik:20170518225807j:image

 

 

思い込みの世界から脱出

 

こんばんは。このページにたどり着いてくれてありがとうございます。

 

今日は休みだったので、母に母の日のプレゼントを買って来ようと思い、外に出かけました。

 

そろそろ汲んで来た水が古くなって来た頃です。

道すがら、神社で水を汲む事にしました。

 

宮城の北部は雨がしとしと降っていました。

昨夜の大雨のせいか、井戸を漕いでいると、部品の隙間から水が湧き出て来るほど水が豊富に出てきました。

 

有り難い気持ちになったので汲み終わる前と後に井戸の横にある祠に手を合わせて、ありがとうございます。と挨拶をして、車を神社の駐車場に停めました。

 

…ところで、話の途中ではありますが、最近思い込みから抜け出す瞬間が多くなってきたんですが、

 

体感と思っている事も思考なのかもしれない、そんな風に考える様になったのは、黒澤師匠の言葉がきっかけでした。

 

その言葉から、体験的に学んだ事は、図式するとこんな感じです。

 

f:id:yoshiyukik:20170514195511j:image

 

 

 

それは、自分を大切にしすぎる心なのかもしれません。

…なんて事を感じます。

 

でも、離れ小島にいつまでもいても、世界の、そして海の中の事なんて、分からないんですよね。

 

 

神社にいって、何かと繋がった気になっていた事が沢山あったなあーと思ったのですが、

 

大切なメッセージは、思考で繋げようとしなくても、体感としてそこに表れるものなんだな!

 

とこれまた大切な事に気付かせて頂き、

 

今回も雨の中とはいえ、とても貴重な時間を大好きな神社で過ごさせて頂きました。

 

水に浸して浮かび上がるメッセージを見るというおみくじを引いてみるととても良い内容でした。

 

普段行く、近くの花屋さんには足が伸びなかったので、これもまたよく行く喫茶店の横でひっそり開いている花屋さんに行ってみる事にしました。

 

店内は静かで、でも植物の雰囲気でいっぱいです。

 

黄色いカーネーションを買いました。

 

他にも、よく手入れのされたミニバラや、ブーゲンビリアという綺麗な花を見かけ、欲しくなったのですが、ここは節約、節約、、、と思い、黄色いカーネーションの植えてある花かごを車に乗せ、ブイーンと家に向かいました。

 

途中、ケーキも買いました。

 

二つケーキ屋が並んでいるので、どちらにしようか思案しましたが、どちらにも顔を出して、様子を見てみて、少し大きめの店舗の方にしました。

 

メッセージが書いてもらえるという事だったので、白いチョコレートカードに、

「全てにありがとう」と書いてもらいました。

凄い恥ずかしい気持ちです。それも思い込みなのかもしれないな、、、と思ってそのままケーキの上に飾ってもらう事にしました。

 

母は大喜びでした。

 

花屋さんは、とてもよく手入れをしてくれていたようです。

花がしっかりと咲いているその鉢をみて、喜んでいました。

 

ケーキのメッセージも、喜んでくれていました。

 

「誰かに「与える」事は自分にも「与える」事」

というのを何だか懐かしく実感しました。

 

いつの頃の記憶なんでしょう?

懐かしい「いつか」の胸暖まる記憶が、ハートに戻ってくる様でした。

 

今日は、悪い冗談を言って悪のりするのもやめておく事にしました笑

 

自分以外の誰かが「主役」だと心の中で決めておくと、何だか心が澄んで来るようです。

 

今日は、思い込みから外れる事を旨とした一日だった、、、と思いたかったので笑

持病の薬にレイキをかけて浄化する儀式を久々にやろうとしたとき、レイキの世界とつながる儀式や、浄化の儀式の際にも、繋がったという思いを捨ててやってみると、今までにないぐらい、身体にエネルギーが溜まっているのが分かりました。

 

頭の中でイメージするヴィジュアルの世界とは違った、「体感」がそこにはあり、これが、「知る」という事なのか、と思いました。

 

とはいえ、まだ知らない事が沢山ある笑

というマインドセットは、忘れない様にしようと思ったのでした。

 

 

今日は気付いたのは…

 

霊的な世界と繋がっている時は、思考という表層意識では分からない事が起こる。

…つまり、直観や、神聖なところからやってくるメッセージは、思い込みの世界では想像出来ない様な、「感覚」としてやってくる事が多い。

つまり、論理的に繋げようとしても、「分からない事」がある。

 

思い込みは、常に「気づき続ける」姿勢で、脱出出来る!

 

離れ小島から大海に出ることをえらぶ事は、周りの人や世界を「大切にすること」とイコールの力の向き。

 

というものでした。

 

 

読んで頂いて、何か皆さんのお役に立た事ができれは、幸いです。

 

 

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

母の色と父の色

今日は、仕事が午前中だけで終わったので、帰って来てから青麻神社に行きました。

 

…ところで、昨日、母が亡くなるかもしれないという危機が起こりました。

 

しかも、感受性が強い(と自負する)私にとっては結構な負担のある修羅場となりました。

 

 

父はもう亡くなり、母とは長年同居して(女性と二人暮らしをする為にしばらく家を離れていた事があるくらいです)います。

今までは、母に重力をかけて頼っていました。

心理的に大きな体重をかけて。

しかし、今回の事で、離れて生きて行かなければならないという現実に否応にも直面する事になりました。

 

これからしばらく離れて暮らす事も含め、これからの事を深く考えてみました。車を走らせながら(真似しないでください笑)。

 

以前、病気の治療の為に通っていたH耳鼻咽喉科にある統合医療センターでは、母親と心理的にへその緒で繋がった人がいる。という話で、私もそんな人間だったかもしれません。

 

お腹の外に心理的に出ていないので、人との関わりも希薄になっている傾向がありました。

何より皮肉な事に、お腹から声出して話せないので、何をしゃべっているか分からない。と言われる事が多々あります。

 

車を運転していて、自動的な思惟に漂いながら、あるアイデアが降ってきました。

 

今、母と死別したとしても、身体の中に彼女は生き続けるのではないか?

 

遺伝子もそうだし、血液も元はと言えば、原料は母や父の血液ですから、正に「分身」と言えます。

分身という事は「同じ身体を持っている

という事だな、と論理的に導きだしました。

 

 

母も父もとても荒々しい側面がありましたが…

 

小さい頃、母が寝ていた寝床に入ると、自分のとは違う感触がしました。

何だかとても柔らかくて、優しい雰囲気を感じるのです。

 

その後、注意して食べていて気付いたのが、母の手料理を食べると、とてもやわらかい優しい味わいがするのを感じました。

 

母は、動物や、幼い子供などが、痛い目に遭うと過剰に反応する人です。

 

そうか、色々問題はあるけれど、母は元々優しい人なんだろうな。と思っていました。

 

父が家に帰って来ると、部屋の中が何だか落ち着きました。

晩年、お酒に溺れる様になった頃、たまたま母が家を空けていた時、お酒を飲まないで接して来た父は、清浄で、落ち着いた雰囲気を漂わせていました。

 

美術大学に進もうと思い、毎日高校から帰った後、仙台市内にある予備校に行っていたのですが、

ある日車を降りる少し前に、

「中学校のままバレーボール部にいれば良かったのかなあーと思うよ。」

と言うと、

「なーに、人生はその後の事はその時にはわかんねーんだぁ」

と言っていました。

凄く大きな気づきがそこにはあって、とても嬉しく、静けさを感じました。

 

 

母は優しさの人。

父は落ち着きと静けさの人。

 

そんな風に見てみたなら、

 

青と黄緑のフィルムが、重なって、私自身の色を創りだす様に、

 

(私は)大好きでたまらない二人の、大好きな一面が、私の中に重なって存在している!

 

そう思った時、

「ありがとう…ありがとう…ありがとう!」

と、涙とともに口をついて言葉が出てきました。

 

生んでくれたこと、育ててくれた事。そして、もしかしたらこの長い年月を経て、今こんなに大きな体験をさせてくれたきっかけをくれるために生まれて来てくれたのかも知れないという事。

 

…全て、深い感謝でした。

 

青麻神社には、少し大きめの額のお賽銭(500円ですが)を入れました。

 

もしかしたら、それも関係しているのかな?などと思いたくなりました。

 

裏にある三光の滝に向かう道すがらの沢を見ていて、ずっと存在の維持を心配して来た母への冷たい心配の思いを流してしまおうと思いました。

 

ふと、執着がそこから途切れた瞬間、沢の音が「痛感」という言葉にふさわしい様なダイレクトな感触で耳の奥でスパークするのを感じました。

 

「そうか、世界を感じるというのはこういう事を言うんだな」

 

 

自分の色…落ち着いていて、優しさにあふれている。

そんな色を、大好きだという思いと共に身体に満たすと、長年苦しかった胸の奥の苦しさが一気に溶けて行きました。

それと共に、ひどく冷徹に見えた周りの世界が、とても優しくて落ち着いた色に見えて来るのでした。

 

生まれて初めて、「自分って素敵だな!好きだな!」と思う感激を味わいました。

 

 

 

 

 

微笑み返し

周りの人が、どんな顔をしているかで、自分の内面が分かる。

と聞いた事があります。

 

周りの人たち、どんな顔をしているかな?

と思い返してみると、いろんな事が見えて来ます。

 

憎しみに満ちた人が多いなら、それは私の心が憎しみで周りの人たちを見ているから、その反応が返って来ているのかもしれない。

 

笑っている人が多いなら、日々、面白い事やワクワクする事を、自分自身が追いかけて、青春時代の様な心で生きているのかもしれない。

 

悲しんでいる人が多いなら、悲しみに満ちた心に、日々気持ちが引っ張られている自分がそこにいるのかもしれない。

 

 

 

そして、沢山の表情が、周りには散りばめられています。

 

それは、自分の中に、沢山の自分がいて、それらが統合されているからかもしれない。

 

なぜなら、周りの人たち一人抜いても、世界は維持できないからです。

 

私という世界は、その一つ一つの表情があるから、バランスを保ってそこにある。

 

誰かが、その一つを責めたとしても、それは、責める側と、非難される側というバランスを作っているので◯なのです。

 

 

もしも、懐かしくて、自分が本当に正しいと、罪を感じないでいられる様な、そんな本当の在り方、真実があるとしたら、どんな在り方を思い浮かべますか?

 

そんな、本当の、本当の、そのまた奥にある本当の、思い。

 

その素直な無邪気で純粋な心を、惜しげも無く披露出来るとしたら、、、どんな気持ちですか?

 

きっと、周りの沢山の人が喜んでくれるかもしれない。

 

それは、愛をもらえる体験かもしれない。

 

でも、その奥には、その人たちが喜んでいるのを、身体で感じている自分がいる。

 

 

そう思った時、きっと、

 

「笑顔を沢山の人に届けようかな」

 

と思いたくなる自分がいても不思議ではないですよね。

 

 

最初は、ほんの少しの、わずかな温もりしか、自分の心の中に感じられないかもしれません。

 

でも、その温もりをまずは認めてみよう。

 

そんな心の温もりが、どんどん勇気づけられる道を思い浮かべながら。

 

温もりは笑顔の純度を上げてくれるかもしれない。

 

そしたら、その笑顔を見て、親や、友達や、恋人や、子供や奥さんやご主人が、

少しあったかい心になるかもしれない。

 

そんな私の心は、光の様に、周りを照らし出しているかもしれない。

 

最初は小さな光しかなくても、

 

きっと最初は、認める所から、火をくべる事が始まるんですね。

 

 

微笑みで、沢山の人に接してみよう。

 

深い世界の事が分からなくても、

 

きっと、誰かが微笑み返してくれた時、

 

自分の心の芯が、ギュッと、悦びに震えるのを感じる事でしょう。