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千葉ケイコさん企画「心に灯りが灯るまで」

こんばんは。

 

今日は明鏡止水と言う面白くて不思議な講座を受けて、だいぶエネルギーアップしたのを感じたまま、思いつくようにCafe B.B.と言うライブバーへ行きました。

 

Facebookページを帰り道の地下鉄で見てみたら、たまたま今日が「心に灯りが灯るまで」の日だった事を知り…。

 

急いで向かって開演6分後に着きました。

 

最初の出演者は岩手→仙台→神奈川と渡り歩いたあと、再び仙台へと戻ってきてくれたと言うキーボード弾き語りの女性でした。

これから楽しみだな、と思います。何故なら沢山話したから!

覚えていてくれた先に、共演とか出来たなら幸せだろうな、と思いました。

 

その後、大阪、関東の方、そして千葉ケイコさん自身のバンド、と見ていまして、凄く幸せな気持ちになってしまいました。

 

日々の苦しみを歌う歌が有りながら、何故かその人の良さや、心の温かさが伝わってきます。

 

千葉ケイコさんはとてもいい雰囲気の方で、この人のライブはまたみたいな!と思ったのが三月十一日に行われた同企画を見た時。

 

心に灯りが灯るまで、とは、

 

震災の際に灯りを灯して過ごした日々、そして、その先にある心が救われるまでの時間の流れを思い描いた題名、と、言う事みたいです。

 

つくづく、あったかいなーと思います。

 

ミュージシャンをしている人はどこか影のある人が多いですし、それは他のすべての人も同じですよね。

 

悲しみが深いほど、温かくなれる。

 

陰極まって陽に転ず、とはよく言ったものです。

 

そして、その闇が感じられる人であるほど、その人が放つほとばしる温かさは光を増していく様な感じがしていました。

 

一言一言に、まるで聴く人のエピソードに、逆に耳を傾けるような共感の力と、それを屋台骨で支える根拠の様な体験の重みがあります。…というか、そんな気がする!笑

 

僕が歌い始めた理由はそこにあります。

 

大好きなミュージシャンのメッセージ性の部分が好きになり、自分の使命を漠然と感じました。

自分が感じてきた事はもしかしたら根拠として、表現に繋げられるかもしれない。

 

人の心を癒す様な、人間味溢れる、暑苦しい歌が歌いたい!

 

嫌われることもありましたけど、少数の人の心には受け取ってもらえました。

 

自分が満たされると言うのも正直ありました。

 

でも、今になって思うのは、自分のもっと正直な聴く人への純粋な思いが相手の気持ちの中で感じてもらえたとき、そしてそこに何か心の笑顔が生まれた時、本当にやっていてよかった、って思えていたのだと言う事。

 

聴いている人が僕の歌を聴いてから、幸せを心から感じられる様なエピソードを人生に起こす事が出来たなら、もっと喜ばしい事です。

 

千葉ケイコさんのいい雰囲気は、そんな純粋な気持ちが沢山含まれた、そんなライブ活動への思いがそこにあるからなのかもしれません。

 

他の出演者の方々も本当に素晴らしかった。

久々に瑞々しいエネルギーでお腹一杯になりました。

 

感動をありがとうございました😊

 

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身体の感覚には「喜び」しかないと言う言葉を思い出した夜

こんばんは。

 

今日は久々に弾き語りをしてきました。

 

最近、鎧を脱いだ本当の自分とはどんな姿だろうか?と思案する事があります。

 

…実生活では、自分の思い通りになるならこんな自分がいいな、と思っていた自分像が脆くも崩れつつあります。

 

まさにアイデンティティクライシスと言わんばかりですが、

 

自分の本当のすがたとは、と思案している時点でそこに答えは無さそうだと気付き始めました。

 

今日の歌会の場でも色々気づきがありました。

 

色んな人たちの歌声を聴いていると、様々な雰囲気が伝わってきます。

 

激情の中に優しさがあったり、

 

色恋沙汰にしか見えない中に何とも言えない透明な憂いがあったり…、

 

歌はやっぱりいいなーと思います。

聴くのも歌うのもいいものですね。

 

でも、そんないい感覚が、今日はどの出演者の中にも見えました。

 

と言うか、こじつけた面もありました笑

 

でも、それでも何だか大好きだなーと本音で思わざるを得ない。

 

普段は見下したり、追い越そうとしたり、正直濁った心で見る演奏も、思考が静まっていると何だか全てが愛らしく見えます。

 

ジャッジはやはりあたまの方面で起きているんだな、と実感しました。

 

同時に、例え刹那の体験でも思いがこもっていれば強い力で心と魂を揺さぶる事が、歌や楽器の演奏には可能なのだ、と気付きました。

 

今日は自分のやっていることに誇りが、本当の意味で持てました。そして、明るい展望の中で可能性を探って行こうかな、

 

そんな思いの中、重い腰を上げたような気がしたのでした。

 

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思い込みの世界から脱出

 

こんばんは。このページにたどり着いてくれてありがとうございます。

 

今日は休みだったので、母に母の日のプレゼントを買って来ようと思い、外に出かけました。

 

そろそろ汲んで来た水が古くなって来た頃です。

道すがら、神社で水を汲む事にしました。

 

宮城の北部は雨がしとしと降っていました。

昨夜の大雨のせいか、井戸を漕いでいると、部品の隙間から水が湧き出て来るほど水が豊富に出てきました。

 

有り難い気持ちになったので汲み終わる前と後に井戸の横にある祠に手を合わせて、ありがとうございます。と挨拶をして、車を神社の駐車場に停めました。

 

…ところで、話の途中ではありますが、最近思い込みから抜け出す瞬間が多くなってきたんですが、

 

体感と思っている事も思考なのかもしれない、そんな風に考える様になったのは、黒澤師匠の言葉がきっかけでした。

 

その言葉から、体験的に学んだ事は、図式するとこんな感じです。

 

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それは、自分を大切にしすぎる心なのかもしれません。

…なんて事を感じます。

 

でも、離れ小島にいつまでもいても、世界の、そして海の中の事なんて、分からないんですよね。

 

 

神社にいって、何かと繋がった気になっていた事が沢山あったなあーと思ったのですが、

 

大切なメッセージは、思考で繋げようとしなくても、体感としてそこに表れるものなんだな!

 

とこれまた大切な事に気付かせて頂き、

 

今回も雨の中とはいえ、とても貴重な時間を大好きな神社で過ごさせて頂きました。

 

水に浸して浮かび上がるメッセージを見るというおみくじを引いてみるととても良い内容でした。

 

普段行く、近くの花屋さんには足が伸びなかったので、これもまたよく行く喫茶店の横でひっそり開いている花屋さんに行ってみる事にしました。

 

店内は静かで、でも植物の雰囲気でいっぱいです。

 

黄色いカーネーションを買いました。

 

他にも、よく手入れのされたミニバラや、ブーゲンビリアという綺麗な花を見かけ、欲しくなったのですが、ここは節約、節約、、、と思い、黄色いカーネーションの植えてある花かごを車に乗せ、ブイーンと家に向かいました。

 

途中、ケーキも買いました。

 

二つケーキ屋が並んでいるので、どちらにしようか思案しましたが、どちらにも顔を出して、様子を見てみて、少し大きめの店舗の方にしました。

 

メッセージが書いてもらえるという事だったので、白いチョコレートカードに、

「全てにありがとう」と書いてもらいました。

凄い恥ずかしい気持ちです。それも思い込みなのかもしれないな、、、と思ってそのままケーキの上に飾ってもらう事にしました。

 

母は大喜びでした。

 

花屋さんは、とてもよく手入れをしてくれていたようです。

花がしっかりと咲いているその鉢をみて、喜んでいました。

 

ケーキのメッセージも、喜んでくれていました。

 

「誰かに「与える」事は自分にも「与える」事」

というのを何だか懐かしく実感しました。

 

いつの頃の記憶なんでしょう?

懐かしい「いつか」の胸暖まる記憶が、ハートに戻ってくる様でした。

 

今日は、悪い冗談を言って悪のりするのもやめておく事にしました笑

 

自分以外の誰かが「主役」だと心の中で決めておくと、何だか心が澄んで来るようです。

 

今日は、思い込みから外れる事を旨とした一日だった、、、と思いたかったので笑

持病の薬にレイキをかけて浄化する儀式を久々にやろうとしたとき、レイキの世界とつながる儀式や、浄化の儀式の際にも、繋がったという思いを捨ててやってみると、今までにないぐらい、身体にエネルギーが溜まっているのが分かりました。

 

頭の中でイメージするヴィジュアルの世界とは違った、「体感」がそこにはあり、これが、「知る」という事なのか、と思いました。

 

とはいえ、まだ知らない事が沢山ある笑

というマインドセットは、忘れない様にしようと思ったのでした。

 

 

今日は気付いたのは…

 

霊的な世界と繋がっている時は、思考という表層意識では分からない事が起こる。

…つまり、直観や、神聖なところからやってくるメッセージは、思い込みの世界では想像出来ない様な、「感覚」としてやってくる事が多い。

つまり、論理的に繋げようとしても、「分からない事」がある。

 

思い込みは、常に「気づき続ける」姿勢で、脱出出来る!

 

離れ小島から大海に出ることをえらぶ事は、周りの人や世界を「大切にすること」とイコールの力の向き。

 

というものでした。

 

 

読んで頂いて、何か皆さんのお役に立た事ができれは、幸いです。

 

 

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

母の色と父の色

今日は、仕事が午前中だけで終わったので、帰って来てから青麻神社に行きました。

 

…ところで、昨日、母が亡くなるかもしれないという危機が起こりました。

 

しかも、感受性が強い(と自負する)私にとっては結構な負担のある修羅場となりました。

 

 

父はもう亡くなり、母とは長年同居して(女性と二人暮らしをする為にしばらく家を離れていた事があるくらいです)います。

今までは、母に重力をかけて頼っていました。

心理的に大きな体重をかけて。

しかし、今回の事で、離れて生きて行かなければならないという現実に否応にも直面する事になりました。

 

これからしばらく離れて暮らす事も含め、これからの事を深く考えてみました。車を走らせながら(真似しないでください笑)。

 

以前、病気の治療の為に通っていたH耳鼻咽喉科にある統合医療センターでは、母親と心理的にへその緒で繋がった人がいる。という話で、私もそんな人間だったかもしれません。

 

お腹の外に心理的に出ていないので、人との関わりも希薄になっている傾向がありました。

何より皮肉な事に、お腹から声出して話せないので、何をしゃべっているか分からない。と言われる事が多々あります。

 

車を運転していて、自動的な思惟に漂いながら、あるアイデアが降ってきました。

 

今、母と死別したとしても、身体の中に彼女は生き続けるのではないか?

 

遺伝子もそうだし、血液も元はと言えば、原料は母や父の血液ですから、正に「分身」と言えます。

分身という事は「同じ身体を持っている

という事だな、と論理的に導きだしました。

 

 

母も父もとても荒々しい側面がありましたが…

 

小さい頃、母が寝ていた寝床に入ると、自分のとは違う感触がしました。

何だかとても柔らかくて、優しい雰囲気を感じるのです。

 

その後、注意して食べていて気付いたのが、母の手料理を食べると、とてもやわらかい優しい味わいがするのを感じました。

 

母は、動物や、幼い子供などが、痛い目に遭うと過剰に反応する人です。

 

そうか、色々問題はあるけれど、母は元々優しい人なんだろうな。と思っていました。

 

父が家に帰って来ると、部屋の中が何だか落ち着きました。

晩年、お酒に溺れる様になった頃、たまたま母が家を空けていた時、お酒を飲まないで接して来た父は、清浄で、落ち着いた雰囲気を漂わせていました。

 

美術大学に進もうと思い、毎日高校から帰った後、仙台市内にある予備校に行っていたのですが、

ある日車を降りる少し前に、

「中学校のままバレーボール部にいれば良かったのかなあーと思うよ。」

と言うと、

「なーに、人生はその後の事はその時にはわかんねーんだぁ」

と言っていました。

凄く大きな気づきがそこにはあって、とても嬉しく、静けさを感じました。

 

 

母は優しさの人。

父は落ち着きと静けさの人。

 

そんな風に見てみたなら、

 

青と黄緑のフィルムが、重なって、私自身の色を創りだす様に、

 

(私は)大好きでたまらない二人の、大好きな一面が、私の中に重なって存在している!

 

そう思った時、

「ありがとう…ありがとう…ありがとう!」

と、涙とともに口をついて言葉が出てきました。

 

生んでくれたこと、育ててくれた事。そして、もしかしたらこの長い年月を経て、今こんなに大きな体験をさせてくれたきっかけをくれるために生まれて来てくれたのかも知れないという事。

 

…全て、深い感謝でした。

 

青麻神社には、少し大きめの額のお賽銭(500円ですが)を入れました。

 

もしかしたら、それも関係しているのかな?などと思いたくなりました。

 

裏にある三光の滝に向かう道すがらの沢を見ていて、ずっと存在の維持を心配して来た母への冷たい心配の思いを流してしまおうと思いました。

 

ふと、執着がそこから途切れた瞬間、沢の音が「痛感」という言葉にふさわしい様なダイレクトな感触で耳の奥でスパークするのを感じました。

 

「そうか、世界を感じるというのはこういう事を言うんだな」

 

 

自分の色…落ち着いていて、優しさにあふれている。

そんな色を、大好きだという思いと共に身体に満たすと、長年苦しかった胸の奥の苦しさが一気に溶けて行きました。

それと共に、ひどく冷徹に見えた周りの世界が、とても優しくて落ち着いた色に見えて来るのでした。

 

生まれて初めて、「自分って素敵だな!好きだな!」と思う感激を味わいました。

 

 

 

 

 

微笑み返し

周りの人が、どんな顔をしているかで、自分の内面が分かる。

と聞いた事があります。

 

周りの人たち、どんな顔をしているかな?

と思い返してみると、いろんな事が見えて来ます。

 

憎しみに満ちた人が多いなら、それは私の心が憎しみで周りの人たちを見ているから、その反応が返って来ているのかもしれない。

 

笑っている人が多いなら、日々、面白い事やワクワクする事を、自分自身が追いかけて、青春時代の様な心で生きているのかもしれない。

 

悲しんでいる人が多いなら、悲しみに満ちた心に、日々気持ちが引っ張られている自分がそこにいるのかもしれない。

 

 

 

そして、沢山の表情が、周りには散りばめられています。

 

それは、自分の中に、沢山の自分がいて、それらが統合されているからかもしれない。

 

なぜなら、周りの人たち一人抜いても、世界は維持できないからです。

 

私という世界は、その一つ一つの表情があるから、バランスを保ってそこにある。

 

誰かが、その一つを責めたとしても、それは、責める側と、非難される側というバランスを作っているので◯なのです。

 

 

もしも、懐かしくて、自分が本当に正しいと、罪を感じないでいられる様な、そんな本当の在り方、真実があるとしたら、どんな在り方を思い浮かべますか?

 

そんな、本当の、本当の、そのまた奥にある本当の、思い。

 

その素直な無邪気で純粋な心を、惜しげも無く披露出来るとしたら、、、どんな気持ちですか?

 

きっと、周りの沢山の人が喜んでくれるかもしれない。

 

それは、愛をもらえる体験かもしれない。

 

でも、その奥には、その人たちが喜んでいるのを、身体で感じている自分がいる。

 

 

そう思った時、きっと、

 

「笑顔を沢山の人に届けようかな」

 

と思いたくなる自分がいても不思議ではないですよね。

 

 

最初は、ほんの少しの、わずかな温もりしか、自分の心の中に感じられないかもしれません。

 

でも、その温もりをまずは認めてみよう。

 

そんな心の温もりが、どんどん勇気づけられる道を思い浮かべながら。

 

温もりは笑顔の純度を上げてくれるかもしれない。

 

そしたら、その笑顔を見て、親や、友達や、恋人や、子供や奥さんやご主人が、

少しあったかい心になるかもしれない。

 

そんな私の心は、光の様に、周りを照らし出しているかもしれない。

 

最初は小さな光しかなくても、

 

きっと最初は、認める所から、火をくべる事が始まるんですね。

 

 

微笑みで、沢山の人に接してみよう。

 

深い世界の事が分からなくても、

 

きっと、誰かが微笑み返してくれた時、

 

自分の心の芯が、ギュッと、悦びに震えるのを感じる事でしょう。

 

 

脱力

今日、仕事で色々な事を学びました。

それは、ルーチンになった事の中から精神的な事を学ぶ旅のような気持ちで見つめて受け取ったものでした。

 

私は今、接客業をしています。

何故か、人づてに仕事の話を頂き、苦しいながらも頑張り続けて2年。

今に至るのですが、元々敏感な体質のせいか、毎日相当なダメージを食らって家に帰るのが定例になっていました。

 

正社員として働いてたインターネットの仕事に返り咲こうとして、結局踏みとどまって、それからしばらくして、

黒澤全公式サイト

黒澤全さんと言う、仙台で人の相談に乗ったり、講座を開いている方に出会います。

この巡り合わせは、元の仕事に戻っていたら、出会う事が出来なかったのでは、と思う様な偶然の出会いでして、教わってきた事は、他の方が教えている事とは一線を画すものでした。

 

私は正直、成功して親孝行をすれば、それが一番の望み!と思っていたのですが、それも刷り込みの一つだと気づく過程がありました。

 

自分が受け取る、その事ばかり考えているので、周りからしたらいい気持ちで見つめられる存在では無かったはずです。

 

単純に与えられたなら嬉しいのが当然ですが、それは私自身だけでなく、周りの人たちも同じだったわけです。

 

私は、周りの人に何か手を差し伸べていたかな?と気づきました。

 

沢山持つ、奪い取る!と言う先には、満杯になったら周りに還元したい、と言う思いがあるからこそ、と自分を省みていて思いました。

 

しかし、その深いモチベーションに従うなら、今すぐにでも出来る。

 

そんなことに気づきました。

 

今日はお客さん達の大半が、喜んでくれている様に見えました。

 

頑張って、頑張って、頑張って、

の先には、誰か特別な人に向かって心を向けている自分がいました。

 

日々、休む暇もないぐらい、毎日、毎瞬、頑張ってきましたが、

 

誰のことも根本的には自分が満たしてあげる事が出来ないのだ、と気づきました。

 

黒澤先生からは、そんな緊張感を解く必要があると言うアドバイス。

 

そして、日々試行錯誤する中で、その試行錯誤すらも、必要が無い事が分かりました。

 

奪い取ろうとして、頑張っていたわけです。

 

脱力する理由が欲しかったのですが、理屈抜きに、頑張らない自分を許していると、自然に周りに施そうと言う気持ちが内側から生まれてインストールされていきました。

 

誰しもある運命的な出会いがあると思いますが、私の場合もまた、運命的な出会いだったと思います。

 

的確なアドバイスでした。

 

・頑張るモチベーションがどこにあるのか?

・自分の限界にとどまる事をした上で、本当に嬉しい瞬間を得るにはどうしたらいいか?

 

現実に立ち返って、考え続けて、漸く答えが出ました。

 

ありのままでいい、と言う言葉に多くの人が癒されるのは、

恐らく、何かに応えようとして、擦り切れる程に頑張り続けた結果かもしれない。

 

誰かに同情する為に頑張るのではなく、

 

誰かが遠くで一人幸せを感じているのを許す為に、行動する、

 

そんな気持ちがあったなら、爽やかな気持ち良さが現れてくる。

 

そんな事を実感しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

新年あけましておめでとうございます

こんばんは。

 

だいぶ遅れましたが、新年あけましておめでとうございます。

 

今年の始まり、1月1日の朝は、いつも行く青麻神社への初詣から始まりました。

 

写真を撮り忘れていたのですが、日の出前に出発したので、道の途中、辺りは真っ暗でした。

 

神社に続く車道はとても暗い、人通りの少ない道です。

でも、何故か嫌な雰囲気はなく、神妙の気持ちで道を進んで行きました。

 

もう沢山人がいるのではないか、と思って神社に着くと、あまり人がいませんでした。

灯籠に火が灯り、辺りはこじんまりとした落ち着いた空気に染まっていました。

 

誰かが、「人の欲望の集まる場所になってしまっている可能性のある、神社という場所」について話していたのを思い出し、

 

よし!この機会なら年初のおみくじも変な影響は受けないだろう、とそう思い、おみくじを引いてみました…

 

 

 

…実は、この神社に夏頃来た時に、ふと何かの本で書いてあった事を試してみようと思い、試してみた経緯がありました。

 

神社に鎮まる神様に、境内の中で話を聞いてもらう、という「見立て」を行う方法。

 

いろんな会話が頭の中で巡りました。

 

その中で印象に残ったのが、

 

「愛とは「合い」である」

 

という話でした。

 

言霊をひも解く発想を、今お世話になっている黒澤先生から聞いていたところでした。

 

それ以前から、おみくじを引いても、どんぴしゃりのメッセージが書いてある、とか、

 

何だか分からないけど、ふと行きたくなる場所であったとか、

 

これは「愛」だろうと思って、頭の中で神様に質問してみると、

 

それは「合い」なのだ、という事でした。

 

 

愛を感じる関係、何だか好きになってしまう場所。

そこには、「合う」力が存在していて、フィットするという空間の現象には、引き合う力があるというもの。

 

つまり、青麻神社のスペース=「空」は、私の身体に重ね合わせたがっている、という事でした。

 

…と、端から見たら何の事やら、という様な妄想チックな世界の中で、脳内の検索機能がフル回転しながら、また、何かのエネルギー?的なものが私に伝えてくれた事の内容のシェアでした。

 

おみくじには、きっとまた何か愛の籠ったメッセージが有るに違いない、と思い引いてみると、思いのほかいい結果でした(内容はここでは公開しない事にします)。

 

もう一つ、アクセサリーの入っているおみくじを引くと、そちらは少し良くない結果でしたが、メッセージは正にどんぴしゃりな内容でした。

 

仙台の伝統工芸の品であるだるまを親にお土産に買って、その朝は家に帰る事にしました。

 

ところで、このだるま、頭の部分が青くて、胴体下部分が赤く、そこには白い筆書きがされているのですが、今まで派手だな、とは思ってみてはいたものの、よく見てみると、その白い筆書きは「蓮の花」の模様の様に見えます。

 

赤は第一チャクラの色。

 

何だか象徴的な物を見たな、と思いました。

 

私は多分まだ物欲は手に入れる物というものに左右されるという現状があります。

大切にすべきものは大切にして、、、と考えると、いろんなカテゴリーがあります。まずは、生活の基盤を充実させる事も考える事になります。

 

勿論、その中にも、何をするのか?どのように生きるのか?も散りばめながら。

 

今年の抱負は、「テーマを決め、着実にその方向に向かって進む事」です。

 

年初の目標は一昨年から決め始めてましたが、挫折に終わりました。

 

でも、今回は、叶ったイメージが身体に根付いているのを感じて、それはとても自分にとって本望な感覚なので、

 

その「生き方」にまつわる感覚を大事にして、日々成長していこうと思いました。

 

ちなみに、そのテーマとは「いろんな意味で喜びに満ちあふれている」という事です。

 

 

…勿論、頑張らないで、という事も大事にします。

今日は、何か課題を解決しようとしなくても、そこにいるだけでいいんだな、と感じ、胸の奥が温かくなる思いを感じた所でしたので^^

 

 

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

また記事を書きますので、どうぞ遊びに来てくださいませ。

 

 

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