読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

母の色と父の色

今日は、仕事が午前中だけで終わったので、帰って来てから青麻神社に行きました。

 

…ところで、昨日、母が亡くなるかもしれないという危機が起こりました。

 

しかも、感受性が強い(と自負する)私にとっては結構な負担のある修羅場となりました。

 

 

父はもう亡くなり、母とは長年同居して(女性と二人暮らしをする為にしばらく家を離れていた事があるくらいです)います。

今までは、母に重力をかけて頼っていました。

心理的に大きな体重をかけて。

しかし、今回の事で、離れて生きて行かなければならないという現実に否応にも直面する事になりました。

 

これからしばらく離れて暮らす事も含め、これからの事を深く考えてみました。車を走らせながら(真似しないでください笑)。

 

以前、病気の治療の為に通っていたH耳鼻咽喉科にある統合医療センターでは、母親と心理的にへその緒で繋がった人がいる。という話で、私もそんな人間だったかもしれません。

 

お腹の外に心理的に出ていないので、人との関わりも希薄になっている傾向がありました。

何より皮肉な事に、お腹から声出して話せないので、何をしゃべっているか分からない。と言われる事が多々あります。

 

車を運転していて、自動的な思惟に漂いながら、あるアイデアが降ってきました。

 

今、母と死別したとしても、身体の中に彼女は生き続けるのではないか?

 

遺伝子もそうだし、血液も元はと言えば、原料は母や父の血液ですから、正に「分身」と言えます。

分身という事は「同じ身体を持っている

という事だな、と論理的に導きだしました。

 

 

母も父もとても荒々しい側面がありましたが…

 

小さい頃、母が寝ていた寝床に入ると、自分のとは違う感触がしました。

何だかとても柔らかくて、優しい雰囲気を感じるのです。

 

その後、注意して食べていて気付いたのが、母の手料理を食べると、とてもやわらかい優しい味わいがするのを感じました。

 

母は、動物や、幼い子供などが、痛い目に遭うと過剰に反応する人です。

 

そうか、色々問題はあるけれど、母は元々優しい人なんだろうな。と思っていました。

 

父が家に帰って来ると、部屋の中が何だか落ち着きました。

晩年、お酒に溺れる様になった頃、たまたま母が家を空けていた時、お酒を飲まないで接して来た父は、清浄で、落ち着いた雰囲気を漂わせていました。

 

美術大学に進もうと思い、毎日高校から帰った後、仙台市内にある予備校に行っていたのですが、

ある日車を降りる少し前に、

「中学校のままバレーボール部にいれば良かったのかなあーと思うよ。」

と言うと、

「なーに、人生はその後の事はその時にはわかんねーんだぁ」

と言っていました。

凄く大きな気づきがそこにはあって、とても嬉しく、静けさを感じました。

 

 

母は優しさの人。

父は落ち着きと静けさの人。

 

そんな風に見てみたなら、

 

青と黄緑のフィルムが、重なって、私自身の色を創りだす様に、

 

(私は)大好きでたまらない二人の、大好きな一面が、私の中に重なって存在している!

 

そう思った時、

「ありがとう…ありがとう…ありがとう!」

と、涙とともに口をついて言葉が出てきました。

 

生んでくれたこと、育ててくれた事。そして、もしかしたらこの長い年月を経て、今こんなに大きな体験をさせてくれたきっかけをくれるために生まれて来てくれたのかも知れないという事。

 

…全て、深い感謝でした。

 

青麻神社には、少し大きめの額のお賽銭(500円ですが)を入れました。

 

もしかしたら、それも関係しているのかな?などと思いたくなりました。

 

裏にある三光の滝に向かう道すがらの沢を見ていて、ずっと存在の維持を心配して来た母への冷たい心配の思いを流してしまおうと思いました。

 

ふと、執着がそこから途切れた瞬間、沢の音が「痛感」という言葉にふさわしい様なダイレクトな感触で耳の奥でスパークするのを感じました。

 

「そうか、世界を感じるというのはこういう事を言うんだな」

 

 

自分の色…落ち着いていて、優しさにあふれている。

そんな色を、大好きだという思いと共に身体に満たすと、長年苦しかった胸の奥の苦しさが一気に溶けて行きました。

それと共に、ひどく冷徹に見えた周りの世界が、とても優しくて落ち着いた色に見えて来るのでした。

 

生まれて初めて、「自分って素敵だな!好きだな!」と思う感激を味わいました。

 

 

 

 

 

微笑み返し

周りの人が、どんな顔をしているかで、自分の内面が分かる。

と聞いた事があります。

 

周りの人たち、どんな顔をしているかな?

と思い返してみると、いろんな事が見えて来ます。

 

憎しみに満ちた人が多いなら、それは私の心が憎しみで周りの人たちを見ているから、その反応が返って来ているのかもしれない。

 

笑っている人が多いなら、日々、面白い事やワクワクする事を、自分自身が追いかけて、青春時代の様な心で生きているのかもしれない。

 

悲しんでいる人が多いなら、悲しみに満ちた心に、日々気持ちが引っ張られている自分がそこにいるのかもしれない。

 

 

 

そして、沢山の表情が、周りには散りばめられています。

 

それは、自分の中に、沢山の自分がいて、それらが統合されているからかもしれない。

 

なぜなら、周りの人たち一人抜いても、世界は維持できないからです。

 

私という世界は、その一つ一つの表情があるから、バランスを保ってそこにある。

 

誰かが、その一つを責めたとしても、それは、責める側と、非難される側というバランスを作っているので◯なのです。

 

 

もしも、懐かしくて、自分が本当に正しいと、罪を感じないでいられる様な、そんな本当の在り方、真実があるとしたら、どんな在り方を思い浮かべますか?

 

そんな、本当の、本当の、そのまた奥にある本当の、思い。

 

その素直な無邪気で純粋な心を、惜しげも無く披露出来るとしたら、、、どんな気持ちですか?

 

きっと、周りの沢山の人が喜んでくれるかもしれない。

 

それは、愛をもらえる体験かもしれない。

 

でも、その奥には、その人たちが喜んでいるのを、身体で感じている自分がいる。

 

 

そう思った時、きっと、

 

「笑顔を沢山の人に届けようかな」

 

と思いたくなる自分がいても不思議ではないですよね。

 

 

最初は、ほんの少しの、わずかな温もりしか、自分の心の中に感じられないかもしれません。

 

でも、その温もりをまずは認めてみよう。

 

そんな心の温もりが、どんどん勇気づけられる道を思い浮かべながら。

 

温もりは笑顔の純度を上げてくれるかもしれない。

 

そしたら、その笑顔を見て、親や、友達や、恋人や、子供や奥さんやご主人が、

少しあったかい心になるかもしれない。

 

そんな私の心は、光の様に、周りを照らし出しているかもしれない。

 

最初は小さな光しかなくても、

 

きっと最初は、認める所から、火をくべる事が始まるんですね。

 

 

微笑みで、沢山の人に接してみよう。

 

深い世界の事が分からなくても、

 

きっと、誰かが微笑み返してくれた時、

 

自分の心の芯が、ギュッと、悦びに震えるのを感じる事でしょう。

 

 

脱力

今日、仕事で色々な事を学びました。

それは、ルーチンになった事の中から精神的な事を学ぶ旅のような気持ちで見つめて受け取ったものでした。

 

私は今、接客業をしています。

何故か、人づてに仕事の話を頂き、苦しいながらも頑張り続けて2年。

今に至るのですが、元々敏感な体質のせいか、毎日相当なダメージを食らって家に帰るのが定例になっていました。

 

正社員として働いてたインターネットの仕事に返り咲こうとして、結局踏みとどまって、それからしばらくして、

黒澤全公式サイト

黒澤全さんと言う、仙台で人の相談に乗ったり、講座を開いている方に出会います。

この巡り合わせは、元の仕事に戻っていたら、出会う事が出来なかったのでは、と思う様な偶然の出会いでして、教わってきた事は、他の方が教えている事とは一線を画すものでした。

 

私は正直、成功して親孝行をすれば、それが一番の望み!と思っていたのですが、それも刷り込みの一つだと気づく過程がありました。

 

自分が受け取る、その事ばかり考えているので、周りからしたらいい気持ちで見つめられる存在では無かったはずです。

 

単純に与えられたなら嬉しいのが当然ですが、それは私自身だけでなく、周りの人たちも同じだったわけです。

 

私は、周りの人に何か手を差し伸べていたかな?と気づきました。

 

沢山持つ、奪い取る!と言う先には、満杯になったら周りに還元したい、と言う思いがあるからこそ、と自分を省みていて思いました。

 

しかし、その深いモチベーションに従うなら、今すぐにでも出来る。

 

そんなことに気づきました。

 

今日はお客さん達の大半が、喜んでくれている様に見えました。

 

頑張って、頑張って、頑張って、

の先には、誰か特別な人に向かって心を向けている自分がいました。

 

日々、休む暇もないぐらい、毎日、毎瞬、頑張ってきましたが、

 

誰のことも根本的には自分が満たしてあげる事が出来ないのだ、と気づきました。

 

黒澤先生からは、そんな緊張感を解く必要があると言うアドバイス。

 

そして、日々試行錯誤する中で、その試行錯誤すらも、必要が無い事が分かりました。

 

奪い取ろうとして、頑張っていたわけです。

 

脱力する理由が欲しかったのですが、理屈抜きに、頑張らない自分を許していると、自然に周りに施そうと言う気持ちが内側から生まれてインストールされていきました。

 

誰しもある運命的な出会いがあると思いますが、私の場合もまた、運命的な出会いだったと思います。

 

的確なアドバイスでした。

 

・頑張るモチベーションがどこにあるのか?

・自分の限界にとどまる事をした上で、本当に嬉しい瞬間を得るにはどうしたらいいか?

 

現実に立ち返って、考え続けて、漸く答えが出ました。

 

ありのままでいい、と言う言葉に多くの人が癒されるのは、

恐らく、何かに応えようとして、擦り切れる程に頑張り続けた結果かもしれない。

 

誰かに同情する為に頑張るのではなく、

 

誰かが遠くで一人幸せを感じているのを許す為に、行動する、

 

そんな気持ちがあったなら、爽やかな気持ち良さが現れてくる。

 

そんな事を実感しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

新年あけましておめでとうございます

こんばんは。

 

だいぶ遅れましたが、新年あけましておめでとうございます。

 

今年の始まり、1月1日の朝は、いつも行く青麻神社への初詣から始まりました。

 

写真を撮り忘れていたのですが、日の出前に出発したので、道の途中、辺りは真っ暗でした。

 

神社に続く車道はとても暗い、人通りの少ない道です。

でも、何故か嫌な雰囲気はなく、神妙の気持ちで道を進んで行きました。

 

もう沢山人がいるのではないか、と思って神社に着くと、あまり人がいませんでした。

灯籠に火が灯り、辺りはこじんまりとした落ち着いた空気に染まっていました。

 

誰かが、「人の欲望の集まる場所になってしまっている可能性のある、神社という場所」について話していたのを思い出し、

 

よし!この機会なら年初のおみくじも変な影響は受けないだろう、とそう思い、おみくじを引いてみました…

 

 

 

…実は、この神社に夏頃来た時に、ふと何かの本で書いてあった事を試してみようと思い、試してみた経緯がありました。

 

神社に鎮まる神様に、境内の中で話を聞いてもらう、という「見立て」を行う方法。

 

いろんな会話が頭の中で巡りました。

 

その中で印象に残ったのが、

 

「愛とは「合い」である」

 

という話でした。

 

言霊をひも解く発想を、今お世話になっている黒澤先生から聞いていたところでした。

 

それ以前から、おみくじを引いても、どんぴしゃりのメッセージが書いてある、とか、

 

何だか分からないけど、ふと行きたくなる場所であったとか、

 

これは「愛」だろうと思って、頭の中で神様に質問してみると、

 

それは「合い」なのだ、という事でした。

 

 

愛を感じる関係、何だか好きになってしまう場所。

そこには、「合う」力が存在していて、フィットするという空間の現象には、引き合う力があるというもの。

 

つまり、青麻神社のスペース=「空」は、私の身体に重ね合わせたがっている、という事でした。

 

…と、端から見たら何の事やら、という様な妄想チックな世界の中で、脳内の検索機能がフル回転しながら、また、何かのエネルギー?的なものが私に伝えてくれた事の内容のシェアでした。

 

おみくじには、きっとまた何か愛の籠ったメッセージが有るに違いない、と思い引いてみると、思いのほかいい結果でした(内容はここでは公開しない事にします)。

 

もう一つ、アクセサリーの入っているおみくじを引くと、そちらは少し良くない結果でしたが、メッセージは正にどんぴしゃりな内容でした。

 

仙台の伝統工芸の品であるだるまを親にお土産に買って、その朝は家に帰る事にしました。

 

ところで、このだるま、頭の部分が青くて、胴体下部分が赤く、そこには白い筆書きがされているのですが、今まで派手だな、とは思ってみてはいたものの、よく見てみると、その白い筆書きは「蓮の花」の模様の様に見えます。

 

赤は第一チャクラの色。

 

何だか象徴的な物を見たな、と思いました。

 

私は多分まだ物欲は手に入れる物というものに左右されるという現状があります。

大切にすべきものは大切にして、、、と考えると、いろんなカテゴリーがあります。まずは、生活の基盤を充実させる事も考える事になります。

 

勿論、その中にも、何をするのか?どのように生きるのか?も散りばめながら。

 

今年の抱負は、「テーマを決め、着実にその方向に向かって進む事」です。

 

年初の目標は一昨年から決め始めてましたが、挫折に終わりました。

 

でも、今回は、叶ったイメージが身体に根付いているのを感じて、それはとても自分にとって本望な感覚なので、

 

その「生き方」にまつわる感覚を大事にして、日々成長していこうと思いました。

 

ちなみに、そのテーマとは「いろんな意味で喜びに満ちあふれている」という事です。

 

 

…勿論、頑張らないで、という事も大事にします。

今日は、何か課題を解決しようとしなくても、そこにいるだけでいいんだな、と感じ、胸の奥が温かくなる思いを感じた所でしたので^^

 

 

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

また記事を書きますので、どうぞ遊びに来てくださいませ。

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 心理学へ
にほんブログ村

みそかもうで

今日は青麻神社にみそかもうでに行きました。

 

まず、井戸水を汲む為に車を停め、降りると

おじいさんが井戸の前で何かしています。

 

近づくと

「水出るかね?」

 

何度か、時間をかけてポンプを使って水をくみ上げていたので、試してみると簡単に水が出ました。

 

「汲みますか?」

 

と聞くと、

「いや、境内の水を汲む。ここの井戸水は何だか匂いがする。生水ではね…」

と。

 

何をやっていたのか、とても気になってのですが、タンクに水を汲んで、境内にお参りをしました。

 

おじいさんは、神殿の中をしきりに見つめています。

 

変な予想が思考をよぎりましたが、実はただ単にいつまでも好奇心が旺盛で、いろんな事が気になる人なのだな、と結論づけていました。

 

違和感とともに不思議な羨望の気持ちが生まれます。

 

この何年間かで、心ときめく好奇心なんて何個感じたかな?

そんな事を思いながら、

 

もう初詣の準備ができている売り場スペースへ。

 

仙台の伝統工芸で有名なだるま像を買いました。

 

ここでふとイメージが頭をよぎります。

 

ドラえもんで、のび太のおばあさんがのび太を励ます為に伝えたセリフ

 

「転んでも転んでも起きる」

 

で、つい思惟していると、

「転ぶ事がきっかけで、立ち上がるという事が起きて来る」

「立ち上がるという現象は、転ぶ事によって成り立つ」

 

そんなインスピレーションが生まれました。

 

失敗した…と思う事は多々ありますが、それも経験をさせてくれた「自分と他者」という二つの群像があります。

 

失敗させてくれた…という方が正しいかもしれない。

 

立ち上がる経験を導いてくれてありがとう。

 

そんな気持ちになり、少しにやにやしていました。

 

 

今回の一連の出来事は、

「思い込みは、闇も作れるが、光も作れる」

そんな考えに繋げてくれました。

 

心明るく、次の一年を過ごしたいとそう思ったのでした。

グルーヴを刻んで行く

膝をとんとん叩きながら、その拍子に合わせて一定のメロディを口ずさみます…。

 

「とんとん」はリズムで、ドラムに当たる部分。

そして、ここではメロディは「ベースライン」。 

 

重低音の楽器である、ベースの音の流れを、ドラムの音に合わせて口ずさんで行きます。

 

最初は、ドラムの音を刻む膝を叩く手も、たどたどしいのですが、

 

段々、そのドラムを叩く手が上達していきます。

 

ドラムが上達していく、と言っても、ドラムを叩く音が複雑になるのは置いておいて…、

 

身体の中で鳴っているリズムが、どんどん自動再生されていきます。

 

身体の感覚的な一面…自然な躍動で、ドラムのリズムを刻める様になって行きます。

 

それに合わせたベースの音も、段々リズムと同化していきます。

 

…実は、ベースという楽器もまた、リズムの楽器なんです。

 

 

ドラムを叩く音は、「拍」と言いますが、

心臓の脈拍と同様、「パルス」と訳されます。

 

心臓の鼓動が生命の躍動を刻むのを感じる時に、心臓が無意識に動き続けているのを感じませんか?

是非、心臓に手を当てて感じてみてください。。。

 

ハートの持つ何とも言えない感覚が、心臓の脈拍を刻む音と一緒になって、内側から手に伝わる響きとなって伝わってきます。

 

そんな感じで、グルーヴの練習の方も、段々、リズムと身体が一体化していくのを、

練習を重ねていく内に実感していました。

 

…実は私、リズムには疎い音楽プレイヤーです。

 

歌とメロディは奏でていても、リズムはちぐはぐだし、何より、想像しようとすると凄く無理をしなければならなくなってしまいます。

 

そういった理由があって、今から!リズムの勉強をしています。

 

ちなみにこういった、抽象度の高い、生命の躍動とも言うべき、心と身体が踊る様なリズムの感覚を一言で、

 

「groove(グルーヴ)」と言います。

 

まるで、小手先の技術だけでは音楽が成り立たない!と言われているかの様ですが、

このリズムの根幹がなし得て、初めて、人の心に伝わる演奏が出来るんですね。

 

よく

「泣く子もグルーヴする」

などと言われるミュージシャンがいたりもしましたが、

 

心と身体がグルーヴしていて、その根幹から発せられる音楽は、

聞く人さえもグルーヴさせてしまいます。

 

その演奏家と聴衆の間をつなぐそのグルーヴの感覚が、万人共通のものだからこそ、聴覚や触覚を通じて私達の中にとけ込んでくるんだと思います。

 

内面の輝きを増せば、周りに伝わって行くのは、

「本当はこういう姿が理想」

という理想の状態、何だかいいな、という状態が、

 

「全ての人に共通だ!」

 

という事実を伝えているのと同じ事が音楽でも起こっているのはとても不思議で、神秘的だと思います。

 

自由な表現の楽しさに心が生き返りました。

今日は早朝からの仕事を終え帰宅。

そして、定禅寺通の並木道の見える、「東京エレクトロンホール」のリハーサル室へ。

…私が出演する為の稽古とかではないんですが(だとしたなら、快挙!ですが)

その一室を、スペースとして借りて行うワークショップに参加してきました。

 

バイタルダンスというフリーダンスのワークショップにご縁あって。

 

今日の私はというと、少し余計な物を削ぎ落とした様な気分です。

ここで、何かを解放したなら、更にいいバイオリズムに乗れそうな気がする!

…と思い、参加しました。

いざ参加してみると、それは未知の体験でした。

 

普段、家で踊るときは、なるべく激しめの曲をかけて、狂った様に踊る…というのは、私の様なタイプの人間は、激しめの運動をすると良い、と何かで読んでから続けているのですが、

 

今回のフリーダンスは、とても優しい印象でした。

かける曲も、こだわった、癒しのエッセンスのあるものや、楽しげな印象の曲をチョイスしているようです。

普段家で踊っている時には出来ない様な微細な広がり方で、身体から動きが展開して行くのを感じる瞬間もありました。

 

「リズムを聴くというより、身体でエネルギーを感じながら、それに共鳴した心と身体の躍動を、最初は緊張したり、これが正しいというやり方にこだわるかもしれませんが、自由に表現してみてください。後はちょっといした指示を出します。」

 

その言葉どおり、最初はいつもの癖で「こうやったら良く見えるかな」という思考が止まりませんでした。

 

しかし、今お世話になっている黒澤全先生から最初に伝えられていた「感情や思考を観察する」という考え方や、ヴィパッサナー瞑想や、マインドフルネスを使う事を少し鍛えて、人生に加味していたところなので

「それはそれ、有っていいけど、飲み込まれない」

というスタンスをキープして、段々と踊りの表現が自由になっていきました。

 

このワークショップの一連の流れの中には、何かたゆまない素晴らしい叡智や智慧が存在しているのだろう。と、勘付いていましたが、その「知性」の存在にもとても惹かれるものがあります。

 

最後には涙涙で終わるワークショップ。とても有意義な時間が過ごせました。

 

エネルギーを蓄えた感があったので、帰りの車の中で曲を考えました。

 

「今の時点での自分に出来る、誰かの心を照らす様な活動とは?」

と考えながら、自分の色合いを使って、光を外に伸ばす様なイメージをして考えました。

 

以下、降りて来た歌詞です。

 

「そよ風に聞き耳を立てて」

 

進んでも 進んでも

先の見えない夜がある

星屑の一つ一つは

帯の様に光を垂らし込むけど

その一条の光を求める心こそが

自分と世界を照らす「光」なのかもしれない

 

壊れそうなハートを抱きながら

風の波が次々と襲って来る

ハートは下に落ちて

粉々になってしまいそうになるけど

その風は、本当は

そよ風の様に

優しく、柔らかく私たちを包んでいるのかもしれない

今ならそう感じる事が出来る自分がいる

 

あなたにとって、「真実の光」とは何ですか?

私にも、あなたの心の中に渦巻く、悦びと、悲しみと、怒りのストーリーを

そっとそよ風の様に伝えて欲しい

私の心の器の大きさでは

その全てを受け止めきる事は出来ないかも知れないけど

そよ風のメロディに聞き耳を立てる様に

あなたの心に耳を傾ける事ぐらいは出来るかもしれないから

 

 

 

…以上ですが、肝心の降りて来たメロディを記録しませんでした。

 

教訓:やろうと思った時にすぐに行わないと、タイミング・チャンスを逃し、後悔も残す事になる。

 

 

…ところで、今回のワークショップの中で感じた事の中で、後から熟考していると分かる事がありました。

 

それは…

「自分を満たす事が出来るから、周りに思いやりを分ける事が出来る」

という事でした。

 

過去、傷ついた時に生まれた感情のエネルギーを癒し、元の状態に戻るという事は、エネルギーで心を満たす悦びの体験。その光の泉に満たされた心からは、こんこんと光が湧き出て来る。そうやって初めて、周りに光を放つ事が出来るんですね。

 

今日はとても良い一日でした。

また明日も素晴らしい日であります様に!

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

 

 

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 心理学へ
にほんブログ村